動揺が収まらず、祖母にやつあたりで父のことを言った。返ってきた答えに、さらに動揺してしまった。
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2021年1月15日。
朝、動揺が収まらない。
庭でのんきに眠っている祖母(88才)を見て、急に憤りの気持ちが湧く。
心の中で、「この人がこれまでの人生の中で、息子が暴力を振るう人間だとわかっていながら、周りに相談したり家族に対して暴力を振るわないよう何らかの努力をせず、祖母自身の体裁が下がることを気にして外に言わずに私たちにも「外に言うもんじゃない」とすごい剣幕と地鳴りのような低い声で、さんざん私たちを脅してきた。親としての責任を持たずに長年放置してきたから、私たちがこんな目にあうような人間に父はなったんじゃないのか?こんなに暴力を振るう人間は、いくら自分の息子であってもおかしいとは思わなかったのか?
祖母はあと長くて数年の寿命。そのまま暴力に目をつむりやり過ごせば、この恐ろしい環境からは自動的に脱出できる。祖母は耳も遠く、父が暴れるのを目の前にしても、目で見たものだけで判断し発言し、父を逆上させて私たちがさらにひどい状況にさらされることが頻繁にある。そのうえ、近所の人には、祖母自身が私たちをおどして行動させないような人物というのを隠すためか、あるいは全く祖母が自分自身を客観視できていないのか、”私は自分にされたくないことは絶対にしない”、と”同情心をうまく買う能力はあるようで、その騙す能力を本当にうまく使って近所の人は祖母に同情していて、私がそうではない、と祖母の対応と本当のことを言うと、みんな、”そんな人だったの!?”とびっくりする、そんな無責任な人間が、今、目の前でなんの悩みもなさそうな顔で眠っている。私は昨日も一昨日もほんとうに怖い思いをしているのに!父は祖母に向かって怒りをぶつければいいのに!」
そんな憤りから、私は思わず祖母に近づいて、
「ばあちゃん、またあのおじさんが暴れた!わたしはすっごい怖かったから、近所の民生委員さんに言いに行った!」
と、耳の聞こえずらい祖母の耳のそばで、聞こえるように大声で言った!
他の人から見たら、祖母をののしっている私の方が虐待をしているように見えるかもしれないような状況。
しかし、私は祖母に伝えずにはいられなかった。
これはさすがにそんな憤りを覚えても祖母には言わなかったが、(私は自分の言った言葉が人を傷つけるようなことばを使うと、自分が言われた側の気持ちになってしまい自分自身が傷つくタイプなので、自分の心を守るために言わなかった)心の中で同時に、
(こんな、自分の家族や子供に平気でなんの罪悪感もなく暴力を振るえる人間をなぜ産んだのか!?
そして、なぜ責任を放棄して暴力を容認し、自分は弱者のふりをして暴力をかわし、のうのうと生きながらえているのか!
どうしていつも祖母は自分が言葉であっても加害者で傷つけて、その反動で祖母にきつい態度で反応したりしても祖母自身のことを被害者ぶって人に接するのか!?)
そう思った。
祖母は、私の「父があばれて、民生委員さんに言いに行った!」というと。
本当に、私の傷つく言葉を返してきた。
あまりにも、祖母は体裁だけを気にしている、、、言葉にできない、私のことが大切ではなく、祖母のメンツが何より第一なんだな、という答えだった。
「あんたあ、なんねえ?」「なさけない、はあ、なさけない!」「そんなこたあねえ、言うちゃつまらん!」(言ってはいけない)「あんたあ、辛抱が足りん!」「ばあちゃんはねえ、どんな心痛があっても、こらえて、こらえて、やってきたんよ!」(こらえる=我慢する)「辛抱せんにゃあつまらん!」(辛抱=がまんする)
強い山口弁なまりです。
…今思ったのですが、「がまんする」という言葉ひとつにこれだけ方言がついているなんて、山口県は「我慢するのが当たり前で、力を行使するものには逆らえないし、逆らう権利もない」と思っている風土なのかもしれません。いまだに。お年寄りが圧倒的に多いので。
と、”これが近所の人をだましてきた演技なんだな”という演出をしはじめた。
目をぎゅっとつむり、額には縦じわを寄せ、悲痛な表情をつくり、大きな声で攻めるように私に言葉を投げつける。
祖母の言葉のなかにある「こらえてきた」(我慢してきたの意味)は、きっと祖母の自分に対する見方の違いだと思います。祖母は、自分にそう人が接するように原因を自分でつくり出していたのではないかと思います。
学習意欲が極端に低く、同じ間違いを繰り返す。そして、発言がとてもネガティブ。なので、祖母が若いころも同じ性質だったのでしょう。おそらく、祖母のまわりにいた人たちも、人間だから、最初はあれこれアドバイスしても、まったく改善せず、しかも人のせいにしたがる祖母にたいしてあきらめはて、そのうち態度も厳しくなった(あきらめた態度を祖母に取る)のではないかと推測できます。
私は、先ほどの祖母の私に対する発言にさらに動揺してしまいました。
父のこんな時代錯誤の人権侵害は、祖母からの影響だとはっきりわかりました。
この時代に、なぜ暴力を振るう人間に従ったり、私が原因でもないのに(父の心の病気を外に、暴力という形でぶちまけている)
何の脈略もなく、わたしの我慢が足りないっていうその無理矢理な理由の紐づけはいったいどこから来るのか!?
私の頭の回路の方が、混乱してきました!
暴れる父のことは、おそらく祖母も嫌悪していて関わりたくないから、服従させやすそうな、言いなりになりそうな、祖母にダメージを与えることをしない、正常な!私たちにおかしな理屈をつけて、従わせようとさせる!
なんてことだ!と思いました!
祖母はもう、放っておきました。
祖母は、「今日は外に行くつもりだったけれど、もう行く気にならない」とわざわざ私になすりつけるように、わざとらしく言い、重苦しい態度と雰囲気で歩いてきた。
私は、耐えられずその場から逃げました!
私は本当に動揺して、たぶん今精神科に連絡しても、この前の様子だと、また私の性格判断を先に先生がするような質問をしてくるのでは?(相談者が怒りを招く質問を投げかけ続け、本人が怒りのピークに達したときに本質を見るような診断様子だったので)無駄だと思い、
先月、法務局の人権課の人が「ここも相談としてある」と言われた山口市の精神保健福祉センターに電話をしてみることに。
動揺しながら電話したので、あからさまに変な話し方だっただろうと思うのですが、
伝えた内容は
「父が先日暴れて動揺している。今、いろいろなところに相談しているが、どこも直接の対応はしていない。今日、話をきいてもらえないか」
ということ。
電話に出られた方は、担当の人が今会議でいないので、折り返す、とのことだった。
すぐに折り返しの電話があって、午後に相談を聞いてもらえるとのこと。
急に電話をして、その日に予約を取ってもらえたのはありがたかった。
午後に出かける準備をはじめる。
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暴力を黙らせようとする祖母。
父は、当然のように父自身の一方的な価値観で家族に暴力を振るっておいて、外では”お酒を飲んでいたから暴力を振るったなんて今まで一度も覚えていない”などと白々しく嘘を平気で言い放ち同情を買うような卑怯者。
(本当に自分のやっていることに間違いがない、と信じているならば、外でも堂々と”暴力をふるっている、何が悪いんだ?”と言いふらすはずだ!自分のやっていることが、世間から後ろ指をさされる行為だと分かっているはずだ。でなければ、隠そうとしないはず!客観的視点を第3者から冷静に教えてもらうためにも、父自身が専門家のいる精神科へ行くべきだ!)
家族に暴力をふるうことを「昔の人だから」や「家族だから仕方ない」では済まされない!
この人たちは、本当に今、この時代に住む日本人なのか?
同じ日本人とは思えない。
奴隷時代の変な世界に住む、奇妙な理解不能な”日本人ではないどこかの無法地帯から紛れ込んできた人の形をした別の生き物”
にしか思えない。