【母と1型糖尿病と私】朝になれば私も変わる
昨日投稿した記事。
私の頭の中を整理整頓するために吐き出したものですが、それはそれで役に立ったような気がします。
一晩経って頭にあるのは、
・私が他人の意見を変えられるなどと思っているのがそもそも何様のお話
・母は理論の世界に生きていない。自分の感情の中に生きている
という事です。
私も感情が頭を支配することが多く、だからこそアウトプットして客観性を取り戻そうとしますが、母はそんなハックは持ち合わせていません。
昨日は暗中模索の気分でしたが、今朝は先の2点がすべてだと思えば、私が出来ることは少ないのだとシンプルな考えに至りました。
もちろん世の中には他人の意見を変えられるスキルを持っている人は大勢います。間違っていることを上手に軌道修正したり、会社の新しい方向に向かっていけるように話したり。
でも残念ながら、私にはそのスキルがありません。何故なら他人の気持ちが分からないという特性を持っているから。
ですので、私にできるのは
・話を聞いてあげること(これも難しいのですがなんとか頑張れる範囲です)
・感情で注射できるように、生活に前向きになれるようにしてあげること
かなと、今は考えています。
以前、「嫌われる勇気」を書かれた岸見先生の介護の本を読んだ際、やはり介護する先生のお父様に対し期待しないという記載がありました。
そうだなぁと改めて思い、そこに母がいる、私がいる、それで良し!ということにしようと決めました。
私にとっての正義はインスリン注射を打つことですが、今の母にとっての正義は違うという事を受け入れてあげたいと思います。誰が正しいかなんて、私には決められない問題(能力が無いという意味)だという事も。
今朝、そう考えてみて少し「暗中」ではなくなったような気がします。
そうはいってもインスリンは注射しなければいけませんが、せめて「暗中」ではなく明るい中で打てるようにしてあげたい。
今は不安と孤独で辛い母に、姉からも私からも四六時中、母にとって嫌な感情となる「注射」の事ばかりずっと話続けている1日は、苦痛でしかないでしょうから。
さぁ、まとめましょう。
私が出来ることは、母の話をよく聞き、毎日の生活が前向きになるような話をいっぱいして、その後軽く「じゃあ、注射しちゃおっか」的な?ノリで注射してもらうww。以上!
できるかなぁ。