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ニューヨークで迎える911

当時12歳だった私は半年後の中学受験に向けて猛勉強中でした。
母が最寄駅まで迎えにきてくれて、車に乗って帰って。
家について、お風呂入って少し復習して寝る。
でもその日は母が「大変なことになっているのよ」と言ってテレビをつけてその映像は今でも忘れられないけれど、やはり疲れていて寝たと思います。

数日後塾に行くと「時事問題が変わる」と先生たちに言われて、冬休みに特別時事問題講習を実施すると言われたような気がします。中学入試が作成されるのは恐らく9月頃。だからもう作り終わっているかもしれないし、これから追加があるかもしれないけれど、とにかく勉強しておかないといけないと言われました。特に社会で回りと点数に差をつけたかった私は強くそう言われたのを覚えています。

当時、中学受験が人生の全てだと思っていた私は必死で単語を覚えて、少々の流れを覚えて、場所を覚えて。小学生レベルなので覚えた単語は9月11日とか、ワールドトレードセンターとか、ニューヨークとか…。ブッシュ大統領とか、そんなだったかと。

入試に出たかは覚えていませんが、これが私の当時の記憶です。

今回のnoteは書こうか、書かないか悩んだけれど、やはりせっかく当日にグランドゼロに行ったので残しておこうかなと思いnoteを開いています。

ゼロから始めるという意味で、ワールドトレードセンターの跡地はグランドゼロとなったそうです

めでたく私は中学受験に合格し、もうすっかり勉強をしていた時のことを忘れて青春時代を過ごしました。英語は大の苦手で、「私日本大好き!日本から出ない!」という典型的なタイプ。有給も日本のどこかに2泊くらいで出かけて、最高~となるタイプでした。それがご縁あって、夫の帯同という形でニューヨークに住むことになり…。

「私、今度ニューヨークに住む」とある友人に連絡をしました。イギリス、ロシア、スイス…なぜか留学経験のある友人も多く。その時はっきり言われたのが、「グランドゼロは絶対行くんだよ。立ち上がれないほど泣くと思う」でした。「そっかぁ。立ち上がれないほどか…。」そんな会話をしつつ、あの日単語を詰め込んだ自分を思い出したのです。

友人たちは「もし留学していた時の海外のお友達の〇〇があの時ニューヨークにいたかと思うと…。」そう口を揃えます。多分世界を転々としている友達がみんないたんでしょうね。

会話も、記憶もやはりどこか私にとって遠い世界のことでした。

そんな会話から2年が経ち、私は「なんちゃってニューヨーカー」になり、時々ワールドトレードセンターの辺りを散歩します。日常に「ワールドトレードセンター」が入ってくるようになりました。

そして。9月11日。ああ、せっかくだから行ってみよう。
ひとりでぶらっと行ってみました。

たくさんのお花が供えられていました

各局のアナウンサーが取材にきています。
そして泣きながらお花を供えている方もいました。
またお名前の隣で写真を撮っている方。

亡くなった消防士の方々

日本人で亡くなった方のご家族の手記も読んでみましたが、ニュージャージからフェリーに乗っている時の気持ちは涙なしには読めません。あのフェリーに乗ってきたんだな、ここを歩いたんだな。ここを探し回ったのか。土地勘があるからこそ1つ1つ映像のように浮かんできます。

父と同じくらいの人が多かったので、当時を知る救助隊員でしょうか
正装でお祈りをしていたり、語らっていました。

友人の立ち上がれなくなるよ、そんな言葉も今ならわかる気がします。

夫はよくこの辺りで仕事をしている。
友人もこの辺りのESLに通っていたなぁ。
この辺りは好きで時々散歩コースで私も行くなぁ。

今は巨大なショッピングモールになっている

あの日の詰込み教育が悪いわけではなくて、だからこそ私は鮮明にあの日のことは覚えていて。でも歴史を変えるほどの出来事だったのに、どこか遠い世界のことだと思い、当時12歳の私は中身を理解せず単語だけ覚えて。大変だー大変だー、勉強しなおさなきゃーと騒いで。

詰め込み教育も、オンラインでお勉強するのも効率的でいいのだけど、やはりこういった現場を見る、ということはとても大切なのだと感じた1日でした。

ちなみに私は大のお勉強嫌いなので、歴史をきちんと勉強すべきだ!とか今の教育になんちゃら!とか宗教を理解せねば!とかそんなことを言いたいのではなく。(たとえ言いたくてもわからないので言えない)
勉強嫌いなりの視点で、やはり当日現場に行ってよかったと感じたというお話でした。

とはいえ、軽いノリでニューヨークに行けるわけではないし、どこでもドアがあれば1番いいですよね。なんて非現実的なことを思いながらnoteを書き留めています。

この日ばかりはみんなじっと静かに見つめていました

もう難しいことは私には書けないしわからないですが、決して遠い世界で起きたことではないんだ、ということだけは肌で感じた1日でした。

何かが一つずれていたら、自分も関係あったかもしれない。多くの事件、事故について自分ごとで考えられるようになっていきたいと思った1日でした。


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