友人にお題をもらって役に立たない話を書くシリーズvol.4「人生で1番思い出に残るいちにち」w/ りなちゃん
役に立たない話の反響
感想&お題の提供に感謝
「読んだよー!」という声もちらほら届いております。ありがとうございます!「ハラさんの役に立たない話を読んで『終わりなき旅』3回も聴いちゃったよー」なんて方もいました(第一弾「めっちゃ泣いたこと」w/ぬまじー参照)。役に立たない話といえど、読んでくれた方がそれぞれ楽しんでいただけてるのを感じて、とっても嬉しいです。ちなみに、読んだらお題提供してもいいかもと思ってくれる方もいるみたいで、「こんなお題で気が向いたら書いてみて!」と新たなお題を提供してくれる方が何人もあらわれました。うれし!お題提供はまだまだ大歓迎ですので、ぜひお気軽にこそっと(もしくは堂々と)教えてくださいまし。
週1更新ですし、のんびり書いていくのでいつになるか分かりませんが、お題をくれた方のテーマで1個は絶対書かせていただくのでのんびり待ってもらえたらうれしいです。かなり先になるかもですが、それでもよければ、ぜひ追加でのお題の提供もお待ちしてますー!
文章を書くのは、自分の楽しみでもあるけれど、やっぱり読んだ人が楽しんでくれるのは大きな楽しみのひとつです。反応があるのは素直に嬉しい。役に立たない話をみなさんがどう楽しみ、活かしてくれるのかそっと見守らせてください。
今日も、お題をくれた方との話、そして本題に入りたいと思います!
「意味がない、役に立たない話」に無駄に意味を付け加えないように(笑)、基本的には一筆書きで、ほぼ書き直しなしで書き上げようと思ってます。意味のなさを、役に立たなさを、楽しんでいただけたら嬉しいです。
今回のお題提供者:りなちゃん
今回のお題をくれたのはりなちゃん。もう10年くらいの付き合いになるのでしょうか。前職時代に仕事で出会いました。お互いがとある人の「秘書」というポジションで知り合ったので、言葉にはしなかったけれど、お互いにしか分かり合えない感情の交換みたいのがあったような気がします。それぞれに個性的なボスの個性的な働き方を「秘書」という肩書を超えて支えるようなポジションだったので、数少ない共通項がたくさんある存在だったのかなと。
その時代は、今思い出しても信じられないくらいの出張ばかりの毎日でした。一緒に仕事をする機会も年に何度かあったので、一緒に出張に行ったことも何度かありました。仕事の旅を一緒にすることは、あの時代の私にはなんとも独特な絆のつくり方だったような気がする。今もつながりが続き仲良くしていることを思うと、あの日々が意味を持ってくるようで嬉しいものです。
進化する姿を勝手に見守り刺激をもらう
大阪で書籍の執筆を共同でしたり、講演ツアーまわったり、仕事の後に一緒にごはんを食べたり、いろいろあったな。あとは個人的にどうしても行きたかった猫カフェに一緒にいったこともあったな(笑)。私が独立してからのこの1年くらいのほうがプライベートでは仲良くさせてもらってます。
出会ったころよりも、自由に、やりたいことに挑戦して、どんどんきれいになっていく姿が近くで見れてなんだか嬉しい。私の方がちょっとばかしお姉さんなので、お姉さんぶったり、お友だちぶったりしながら、これからも絆を育てていけたらなと思っています。
今回はりなちゃんからこんなお題をいただきました。
「人生で一番思い出に残るいちにち」
私、意外とどんどん記憶を手放してしまうので、記憶喪失かなと思うほど覚えていることが少ない気がします。いろいろ思い出深い出来事もあった気がするけど、思い出深い一日ってあるかな?考えていたらふと思い出しました。鮮明に覚えている一日を!
本題「人生で一番思い出に残るいちにち」w/ りなちゃん
まるっと一日覚えている日ってある?
聞かれて思ったんです。印象的な出来事はもちろん覚えているけれど、一日まるっと覚えているような日ってあるだろうか、と。案外ないですよね?一日の動きや過ごし方まで覚えているような日。でも思い出したんです。はっきり記憶にある日。
4年間司法書士の資格の勉強を頑張っていた私が、合格した日のこと。大学を卒業して就職した後、資格取得を目指して転職。そこから4年間、仕事をしながら資格の勉強を続けていました。
超貧乏で、友だちとも遊ばずひたすら勉強を頑張って、合格を諦めそうになった4年目、3回目の受験。試験後、初めての手ごたえを感じつつも、もしかしたら受かっているかも、いやでももしかしたら落ちているかもの両方の感情を行き来する、合格発表までの3カ月間。
自己採点ではギリギリ合格。でも配点次第では足りていない可能性もある。合格を期待して落ちたときのショックはきっと耐えられないから、「期待するな、期待するな」と自分に言い聞かせていました。
そして運命の合格発表
落ちているつもりで行動しようと、試験後すぐに派遣で短期の仕事を始めていたので、合格発表の日も、午前中はいつも通りに仕事へ。オンラインでも合否は確認できるのですが、午後お休みをいただいて、希望を込めて東京法務局まで直接合格発表を見に行くことに。ドキドキしながら、法務局前の掲示板に。質素な掲示板に掲げられた合格者の番号を順番に確認していきます。
「あった」
何度も見直して、確認して、それでもあったんです。
受かった。終わった。報われた。
そう思ったら、気づいたら涙が出てきて、「あ、私自分のために嬉し涙流すなんて初めてかも」と思ったのを覚えています。そのまま母に電話をかけて、「受かってたー」と報告したら、安心しすぎて涙がまたあふれてきました。なによりホッとしました。やっと終わった。そんな気持ちで喜びというよりは安堵の感情の方が強かったと思います。同じところで足踏みするような日を終りにできる。やっとスタート地点にたてる。やっと人生を次に進められる。
母の愛と絶対の信頼感を知る
ずっと求めていたものを手にしたときの気持ちはとても不思議な感情でした。それはそれは唐突で、まだきょとんとしてるような感じ。とにかくホッとした気持ちを抱えて家に帰り、夜は母と祝杯をあげることに。そのとき実家があった荻窪の駅近くの居酒屋さんに2人で行って食べて飲みました。
「本当にホッとした」「私は言葉にしたことなかったけど、もう正直、どんなに勉強しても受からないんじゃないだろうかと思ってたよー」と母に話していたのですが、そしたら母は「そうなの?」と心から驚いたような声で私に言ったんです。
「私は絶対受かると思ってたから、受からないと思ったことがない」と。今度は私がきょとんで、「え?本気でそう思ってたの?」という感じでした。え、合格率とかわかってる?本気で言ってる?と何度も聞いたけど、本当の本当に一度も疑ったことなく信じてたらしいです(笑)。母の盲目的な愛と信頼感すごい。となんかびっくりしてしまいました。
私よりも私のことを信頼してくれていたことを知り、合格した夜になかなかの感動を母からもらった気がしました。
記憶に残る一日がこれから何日あるだろう
これが私の人生で一番思い出に残るいちにち。まるまる一日しっかり記憶にある一日です。
頑張ってきたことがきっちり報われた日。
人生で初めて自分のためだけに涙を流した日。
母からの想像を超えた愛を感じられた日。
ただひとつ思い出深い出来事があった日ということではなく、人生にたやすく起こらないことがいろいろ重なったからこそ、しっかり記憶に残ったのだろうと書きながら感じました。
人はいろんなことをどんどん忘れていく。そうしないと生きていけないし、だからこそ生きてこれたんだと思うけど。記憶に残って忘れられない思い出深い一日が、すごくすごく大切な一日だったことを思い出しました。
これからの人生でそういう一日が果たして何日あるのだろうか。その未来の一日が、いい一日であったらいいなと少しだけ願う。そしてすっと通り過ぎてしまう平凡で取るに足らない一日が、ある意味人生の大部分で、人生そのものであるともいえるのだとも思いました。平凡で平和であっさり忘れ去っていってしまう昨日や今日もまた大切にしたいものだな。
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