羊をかぞえる時間が明日の私をつくる
ねむりにつく間にかんがえることはときにたのしく、ときにくるしく、ときにさびしく、ときにはげしく、ときにさわがしく、ときにわびしく、ときにむなしい。
ついこの時間にかんがえてしまうようなことが私の人生をゆたかにしている。最近、よくかんがえているのは、将来のことや自分自身のことだ。
どれもとりこしくろうだけど、どうしたってかんがえても無駄だけど、かんがえずにはいられない。なやみ、くるしみ、むなしくなるだけなのに、かんがえずにはいられない。
かんがえたそのさきにはなにものこらない。なにものこらないどころか明日になるのが不安になってくる。不安なまま明日がくるのが少し怖くなってくるのだ。
安心してほしい。それでも明日はやってくる。さっきまでかんがえていたことすべて昨日に置いてきたのだ。昨日かんがえていたあれこれが嘘のように、頭の中からぬけている。
ねむりにつく間にかんがえることは私を昨日より成長させてくれはしない。この時間に意味を見いだすとしたら明日の自分に投資をしていることに他ならない。目にはみえない、無駄という名の投資をしているのだ。
読んでくれてありがとう。
あとでかんがえるべきことなんてあるのかな。