ベイビーブローカーの罪
映画「ベイビー・ブローカー」の中で、「赤ちゃんポスト」が大きなテーマとなっている。赤ちゃんポストの是非も重要な問題だが、あえて今回は
ベイビーブローカーという仕事そのものについて考えてみたい。
問い「なぜベイビーブローカーは罪に問われるのか」
簡単に言えば、ベイビーブローカーは、人身売買である。人を商品とし、それを売り買いすることになれば、倫理的にも社会的にも問題になる。
日本の法律に照らすと、罪に問われる。
ただ、一回法律的な議論を横に置き、ベイビーブローカーがなぜ罪に問われる悪とされるのかを考えてみたい。
それは、里親制度とも関わる。里親制度は、罪に問われることなく、なぜベイビーブローカーは、罪に問われるのかという問いでもある。
まず、里親制度とは、から考えてみよう。
里親制度は、何らかの事情により家庭での養育が困難又は受けられなくなった子ども等に、温かい愛情と正しい理解を持った家庭環境の下での養育を提供する制度です。
この定義からわかるのは、育てる人や環境が整った新しい家族を提供するということだ。これは、映画の中で、(倫理的にという面で見れば)ベイビーブローカーが行っていたこととさほど変わらない。
では、なぜベイビーブローカーは、悪なのか。
顕著な違いは、金銭の授受があるかどうかだ。ただ、それだけの違いで正義と悪を決めてよいものか。それとも、金銭の授受の有無で正義と悪を分けるべきなのか。
もう少しゆっくり考えてみよう。
人を売り買いすることは法律で罰せられるが、雇用によって人を雇うことは、法律で罰せられない。この違いはなんだろう。
法律の専門家ではない一般人の考え方では、人を売り買いすることと、人を雇うことを区別するものは真に何を売り買いしているのかということだ。
人身売買は、人の命そのものを売り買いしている。それに対し、人を雇うことは、時間、技能といった、人の構成要素の一部を売り買いしているという風に考えられる。
一度、この議論にあえてクエスチョンをしてみる。
問い「人を雇うことは、時間、技能だけを売り買いしているといえるのか?」
この答えは難しい。人の体が2分割されたり、物理的に切り離すことができないならば、それはその時間、その機会に限定して、人を売り買いしていると考えることでもあるのではないか。
ならば、雇用と人身売買は同じといえるのか。そうともいいきれないところがある。
人身売買とは、を今一度確認してみよう。
人間を物と同じように売買すること。売られた人間は、買い主に所有され、その利益のために使用されるので、人間としての基本的権利(自由権、幸福追求権など)を奪われ、人間としての尊厳や人格を認められない。
出典
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E8%BA%AB%E5%A3%B2%E8%B2%B7-82012
ここで気になるのは、人格という言葉だ。
いちいち言葉の意味を確認しながら考えてみたいので、ここで人格とは、を確認してみる。
人格とは、性格よりももっと広い意味で、その人のもつ性格、個性、行動様式すべてをさします。
出典
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E6%A0%BC-81375
つまり、人身売買は、人の性格や個性、行動様式を奪う、変える、無くす行為であるということだ。これが、雇用とは異なる部分である。
ベイビーブローカーと里親制度の話に戻す。
上記の定義に照らせば、ベイビーブローカーは、個人の本来持っている価値基準や行動することを制限する行為である。それでは、里親制度とは何が違うのか。本質的にはどうなのだろう。
真の問題は、愛されるか、否かではないか。 人として、存在を認められるかということではないか。仮に、里親に育てられても里親の都合のよいように人ではなく、モノとして扱われれば、それは悪になる。
里親制度が悪いといっているのではなく、あくまでベイビーブローカーの悪、罪について考えている。むしろ、里親制度は、社会でこどもの生命を守るという点で優れた仕組みだといえる。
金銭の授受だけでなく、人として扱う、人格を否定しないかどうか、がベイビーブローカーの罪を考えるうえで大切な視点なのではないか。
映画「ベイビー・ブローカー」は、罪とは何か、正義とは何かについて、気づきを与えてくれる作品だ。