子どもの頃の夢を諦め見つけた道
挫折からの成長
こんなタイトルの小説やドキュメンタリー映画は巷にたくさん溢れている。
ただ、それらは彼らのストーリーでしかなく、誰にでも当てはまる成功の方程式ではない。
ここで語るのは、嘘偽りない私自身のストーリーである。
11年間続けたピアノ
5歳の時に、私はある一人の先生に出会う。その名はかぜよ先生(仮名)である。
先生と最初に出会ったのは、私が通っていた幼稚園でのピアノレッスンだった。それがきっかけで、私はかぜよ先生に毎週、ピアノを習うようになった。
最初は遊びに行く感覚で、通っていた。周りの友達もピアノレッスンに行っている子が多くて、話を合わせる種にするためでもあった。
それでも、家の電子ピアノを使って一応譜面を見て、軽く弾くくらいの練習はやっていた。
ピアノの発表会が近づくと、いつもそわそわしていた。練習をただやればいいわけではなく、ある程度のところまで弾けるようになる必要がでてくるからだ。
それなのに、なかなか練習せずに発表会になったりしても先生は私を咎めたりはしなかった。
先生の薦めで歌のコンクールなどに出たこともあった。決して上手くはなかったが、たまたま小学校の顔見知りの先生がコンクールに来ていて、あとで「上手だったよ」と言われたときにはうれしかった。
ピアノ教室に11年間通えたのはかぜよ先生のおかげだ。音楽の楽しさを教えてくれたかぜよ先生のおかげで、今の私がいる。
挫折
物心つく頃には、かぜよ先生のような「ピアノの先生になりたい」という夢を抱くようになる。
だから、高校2年生、進路は音大に行くことと決めていた。ただ、現実は甘くない。
そこで私が突きつけられたのは、「素人レベルの脱出」だった。そもそも私は遊びでやっているようなピアノ技術しか持ち合わせていなかった。
そこではじめて、ある程度の技術がなければ、音大に行くこともできないという現実を知る。
今までの私のピアノをやる原動力は「好き」だった。
ただ、好きは脆い。
それには好きでなくなる決断をしなければならなかったのだ。
結局考えたのち、出した答えは、
好きのままでいる
それが私の出した答えだった。
夢を諦め、新しい道に向かう決断をした。
希望
その後、私は今通っている大学に進学した。
そして今、私は新たな夢を持っている。
言葉で、人の心を動かす
誤解のないように付け足すと、私は小説家を目指しているわけではない。漠としているが、言葉、情報を扱う仕事、メディア系の仕事に就きたいと思っている。
夢を諦める勇気が私には必要だった。その先にしか自分の納得できるミライはつくれないのだから。