オンライン疲れで対話を求める
オンラインツールが流行っている中、オンライン疲れがネットの記事のタイトルになっているのを見つけた。それを見て、記事の内容に共感し、対話について軽視している自分に気づいた。そこで対話について考えてみることにする。
オンライン疲れ
確かにオンラインツールでできることは増えた。普通に会話するだけでなく、リアクションをおこしたり、会議の議事録をとれるものもある。zoomというツールではパソコン画面の共有や背景の変更も行える。また、spatial chatというツールは画面内を移動したり、youtubeの動画を共有することもでき、画期的だ。
ただ私自身最近オンライン疲れなるものを感じている。単純に目が痛いというのもあるが、会話が弾むほどデジタルに接する機会が長くなってしまうことによる疲れを感じている。
多くのオンラインツールがあり用途も様々だが、対話に勝るものはない。普段の会話の延長にオンラインがあるのではなく、対話にはやはり対話ならではの良さがある。
対話とは
( 名 ) スル
双方向かい合って話をすること。また、その話。比喩的にも用いる。 「 -しようと努める」 「親子間の-」 「歴史との-」 出典:コトバンク 大辞林 第三版の解説
対話とは哲学の問答の意味もあるが、ここでは上記の意味とする。
対話の本質
オンラインツールを軽くディスったところで、対話の良さについてだ。もちろんオンラインツールでしかできないことも多くある。オンラインツールは大人数での会話を何人かグループ分けしたり、議事録をとることができビジネスの場では大いに活躍する。
それに対し、対話では空気を大事にする。空気は間というかもしれないし、雰囲気と表す場合もある。これらの言葉は空気がいい、雰囲気がいい、間がもたないなど日常ではごく普通に使われる。
それが対話ではなく、オンラインという場になると馴染まない。言葉を発さないと相手には自分の意志は伝わらないし、阿吽の呼吸で会話をするのも難しい。空気が存在しないということはその空間を自分の手ぶり身振りや表情、声で埋め尽くすしかない。
対話の良さを語ろうとしたら、オンラインツールの悪口になってしまった。対話は空気でできている。だから、空気が日常生活のなかに全く無ければ私は窒息してしまうとおびえている。
オンラインとの共生
オンラインツールの有用性がわかるとそちらに飛びつきたくなるのもわかる。ただ、オンラインツールは対話と共にあるべきだ。オンラインでできないことを補う形で対話をする。対話はあくまでもサブだが、空気が重要な場面では活躍してくれる。
さあ、対話をしよう
もちろんこのご時世対話を慎まなければいけないものの、対話の重要性についてオンラインを通じて意見してみるのをおすすめする。そうすればオンライン疲れも少しは収まるのではないかと思うのだが。
参考文献