自分を戒めるために誹謗中傷について考える
テラスハウスに出演していた、プロレスラーの木村花さんの自殺が大きな話題になっている中、幾度もこの件について書こう書こうと思って今に至る。書くことが怖いと思ったのは今回が初めてのことだった。書くことで誰かを傷つけるのではないかという怖れがあったのだ。
書くことを後押ししたのは昨日聞いたラジオだった。朝井リョウさんと高橋みなみさんがやっているラジオで木村花さんの話が出た。そこで、話すことで考えを深めていく二人のやり取りを聞いていたら、自分も何か伝えなくちゃという気持ちになってきたのだ。
やはり書くべきだと思い立った今日、私なりの覚悟を胸に自分に素直に書こうと思っている。木村花さんへの追悼の意を込めて。
ネット上では自殺の原因がSNSでの誹謗中傷ではないのかという議論がある。
しかし、それを断言できる証拠がない。ここでは誹謗中傷が自殺の原因だったかもしれないという仮説を立てた上で考えていきたい。
ネットがリアルを凌駕する
インターネットはそもそも現実の世界とは異なる側面がある。現実の世界では不特定多数の人がコミュニケーションをとることは不可能に近いが、それをネットでは可能にしてしまう。ネット上で拡散され多くの人から注目を集めることができるというネットの性質が現実を凌駕している。
つまり、ネットが現実よりも力を持つという認識が生まれている。
ただ、ネットには欠点もある。不特定多数の人がコミュニケーションをとるため思いもよらない発言が生まれる。当の本人が言いたくないことも言ってしまうリスクがあるということだ。
それから、受け手にも問題がある。発言にはその言葉の背景などは説明されない。その場合、言葉の意味の解釈は個人による。誤解が生まれるのはこういう構図があるからだ。
ネットは現実を凌駕するといったが、ネットの中の情報は現実と地続きのように感じてしまうこともある。ネットの情報がすべて真実であるかように錯覚してしまうのだ。それが真っ赤な嘘だったとしても。
人間は偏った見方しかできない生き物
私も人のことについてとやかく言える立場ではない。今回の木村花さんの事件があるまでは木村花さんのイメージはあまり良いイメージでなかった。それはテラスハウスという番組の出演者の一人としての側面しか知ろうとしなかったからだ。ネットだけではなく、メディアに対しても目に見えることだけですべてを判断してしまうのだ。
人は先入観でしか物を見ることができない生き物だ。偏った物の見方をした集団の中に生きている。それゆえ、人は間違う。それを指摘しあいながら真実を追求していく。その繰返しだ。
はたしてネット上で真実の追求を行うことは可能なのか。それが正しいことなのか。まだ私の中で疑問が残る。
私もその一滴だ
この記事ではSNSで誹謗中傷をした人が悪いというような見解は示さない。もちろんネットでの誹謗中傷が木村花さんの心を苦しめ、自殺に追い込んだという見方はあるだろう。
ただ、それ以上にネットやメディアの悪い部分に気付かなかった、気づけなかったという無念さを感じている。ラジオの中で朝井リョウさんが「自分も木村さんの中に作る泉の中の一滴には間違いなくなってたな」という話をしていた。私もその一滴だ、という気持ちがぬぐえない。
教科書で習った「誹謗中傷はダメ」というメッセージよりも今回の出来事は凄まじい戒めだった。
ラジオはこちらから。
高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと | ニッポン放送 | 2020/05/31/日 22:30-23:00 http://radiko.jp/share/?sid=LFR&t=20200531223000
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