距離をとることを意識するのは大変だ
ソーシャルディスタンスという考えがこんなにも自然に受け入れられた理由はなにか。その理由の一つは多くの人が今までの習慣の延長として捉えたからだろう。
電車の中で長椅子に2人が腰掛けるとき、大体両端に座っている。これも自然とだがソーシャルディスタンスをとっている例だ。
他にも、ソーシャルディスタンスを自然にとっている瞬間はある。お辞儀をするときだ。人とお辞儀をするとき私の感覚ではお互いの手を伸ばしてもぶつからないくらいの距離をとっている。
こんなふうに今までも自然とソーシャルディスタンスをとっていたのだ。
不自然さをかんじるのはソーシャルディスタンスをとるということを急に意識しだしたからだろう。呼吸を無意識にやっているからこそ意識して呼吸をすると変な感じがするのと同じだ。
なにごとも無意識なことを意識化するのは大変だ。すこしずつで十分なのだ。
読んでくれてありがとう。
テレビをみるとき無意識に口があいてしまう。