“いい写真だね!”と写真家たちに褒められなくっていいの!!!!!
カメラマンさん、写真家さんのワークショップに度々参加してきました。
そこでも技術は最低限で、あとは感じる写真を撮るんだ!!と言うことだった。
だけどね、オールドレンズ写真に出会ったり、私の撮る写真に関して、いいねえ!と言うことはなかったし、彼らがいいねえ!!とぐっとくる写真たちは、技術を最大限に活かしていて、リアルなアートっていう感じ。くっきりパッキリとした写真。
きっと、私も私で突き抜けた写真を撮っていたらそう言われていたのかもしれない。
ただ、あの頃の私は、自分の撮る写真は好きだけど、SNSとか外に出した時には評価はされなかった。
それをすごく気にしていた時だった。。。
どうやったらあんなすごい写真が撮れるんだろう?
そう思って…自分の撮る写真にコンプレックスを感じ始めるようになった。
彼らが好きと言う写真は、私も好きだけど好きじゃなかった。
本当の意味では好きじゃなくて、真似したいとは思わなかったけど、素敵だとは思った。
って、今なら分かるんだけど、あの頃はどうしても気にしてしまったんだよね。
あの頃の私はもう一つハマった写真家さんたちがいた。
それはフォトジャーナリストさんたちだ。
フォトジャーナリストさんたちが撮る写真もリアルで被写体、撮影者の両方の心が写っているような感じがして、私の感情をかき乱し、写真を見て涙を流した作品だった。
私もこんなふうに写真を撮りにまわりたい!とも思った。実際に惹かれた写真を撮った写真家さんに会える写真展にも行ったし、SNSでもつながりを持てた。
だけど、私は行動しなかった。色々なチャンスや提案をくれたけど、行動出来なかった。
そんな色々があって、写真・カメラ📷と少し離れた生活をすること…3年くらい。
ようやく人と比べたりもしない
自分の撮る写真を好きと言う人がいるかもわからなくていい
この写真を撮ることがお金に繋がらなくていい
こう思うことができた。
そしたら、、、
好きな時に好きなカメラとレンズで、その時の感じるままにシャッターをきる。
自然に耳を傾けて、感じた言葉をメモをしておいて、写真と言葉を合わせる。
これがしたいんだ!
と、ようやく自分の声が聞こえてきた。
自分なりの好きな写真を撮っては変え、撮っては変え…を続けたいと思った。
私が人物写真撮ることはほぼなし!撮るとしても、家族(夫と娘)だけ。あとはあり得たとして、一緒にお出掛けする仲のお友だち限定!
仕事として人物写真を撮ることは絶対にないなぁ。楽しめないから。😂
人からの評価、周りの目、人との比較、色々なことをそぎ落としたら、ようやくようやく、自分の本当にやりたかったことに気がつけるんだね。
こんなにも好きなのに好きじゃないみたいにカメラを持ち歩かない、写真を撮らない…色々なことに興味を持ってみたり、うろうろしている私。
そんな私を横でみていた夫に、
私はブログを書くこと、写真を撮ること、これがやっぱりやりたくて楽しくて好きだよ。
って伝えたら、
あなたが楽しいこと、好きなことをやってください。
昔も今も変わらずにこの言葉をかけてくれる。
そんな夫がいてくれるから、私はこの3年悩みまくったけど、帰ってこられたし、帰ってきた私を懲りずに、“好きなことやっていいよ”と言ってくれて、また頑張ろう!って思える。
本当に存在が有難い(ノ)・ω・(ヾ)
この世の中は、評価に溢れている。日本の教育もそうだった。
いつのまにか、私はその評価されることをすごく大事にしていたけれど、それじゃあ心は満たされない事にようやく氣がつけたよ。
人を貶めたり、犯罪を犯したり、などなど人として好ましくない行為はしない方がいいけれど、評価なんか氣にしないで、自分の好きをみんな追求したらいいんだよね✨
誰かの好きが私も好きかもしれないし、好きじゃないかもしれない。だけど、お互いがそれを認め合えて応援しあえる世の中になることを切に願うよ。
わが子には、どんなこともやらせてあげられるように、好きを追求していいよっていつでもどんな時も味方になれる私になる!
私が好きを追求して生きていたら、子もその背中を見て好きを追求して生きられると思うから。
だからまずは私が日々の好きを大切にするぞ❤️
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