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2024/4/5 自己開示とこどもの話

最近、自己開示が苦手なことが、子にも影響してるのでは…!と不安に思うことがある。

あんまり人に、子供の話ができないのだ。
(おんなじ悩みの人っているのかな…?)

わたしには、小学生からの幼なじみ2人とのグループラインがある。

なんでも話せるはずの2人。
うち1人の友だちは「こんなことがあってさ」と子供にあった出来事や悩みをしょっちゅうラインしている。写真もよく送られてくる。
わたしたちは嬉しかったことには一緒に喜んだり、難しいことは一緒に悩んだり。
まるで近くにいて、成長を見守っているような感覚になる。

さて、わたしは…子供の話をあまりしない。
というか自分の話をあまりしない。


「子供の写真送られても困るよな…」とか「オチも何もないし興味ないかな…」とか、とにかく色々考えてはやめる。

だから、彼女たちはかいちぇやけたがどんな子か、どんなふうに育っているかあまりわからない
と思う。


そして、このラインに限らず、わたしは誰に対してもあまり子供たちの話をできていない気がする。

一緒に喜んだり、悲しんだり、悩んだりできるのは夫であるこーちゃんだけで、他の人になかなか打ち明けられないで子育てしている。


これ。
子育て関係なく、そもそもわたしが自分の話をすること、自己開示が苦手だからなのだ。

「何考えてるかわからない」
「表情かわらなくていつも一定だよね」
昔からよく言われてきた言葉。

わりとなんでも平均以上にはできる器用貧乏だったので、親には特に心配されることもなく、手のかからない子として生きてきた。
そしていつしか気付けば、個性豊かな家族を中和する存在になっていた。
あんまり自分の周りで何が起きたか話さない。友だちの話とかもそんなにしない。自分の気持ちを言わない。
別に誰も自分に興味ないよな、と捻くれて自己完結する、周りから見たら透明人間みたいな子になっていた。

だから、人に自分の話をどうしたらいいかわからない。
そもそも自分の気持ちがわからない。


でもそれはあくまで私の話で、子供たちは違う。
いろんなことを日々感じて、感情豊かに生きている。

それをうまく伝えられない自分がもどかしいし、一緒に見守ってくれている人がいないのではと寂しくなるのだ。

わたしみたいに、感情を消す人にならずに感情豊かに育ってほしい。
わたしが子供たちに1番願っていることかもしれない。


だから、わたしはかいちぇによく「何が一番嬉しかった?どう思った?」と意識的に投げかけている。

かいちぇからの答えはまだ少ないけど、わたしもかいちぇも(将来けたも)自分のことを人に話せるように、少しずつなっていこうね、と思っている。

一緒に成長してこうね、という気持ち。

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