ツシマヤマネコのごくうくんが亡くなった
ツシマヤマネコのごくうくんが2022年10月22日に15歳で亡くなりました。
この記事を書いているのはその翌日です。
とってもかなしい。
ごくうくんが亡くなっちゃった…。
私がツシマヤマネコのことを大好きになったのは2017年頃のこと。東山動植物園に通い始めたのは2015年頃からだったんだけど、「日本エリアってどこじゃ??」「ツシマヤマネコ舎どこやねん??」と、私は東山動植物園ビギナーにありがちな広い園内(東山動植物園は国内有数の広さ)でヤマネコを求めて遭難していた。
池のそばにある坂が急な歩道橋を渡った先、ツシマヤマネコ舎はそのさらに奥ということに気づいたのはその少しあと。
はじめに出会ったツシマヤマネコはひなたちゃんとごくうくん。
ひなたちゃんはとってもラブリーなお顔のメスで、私はこころを撃ち抜かれた!ごくうくんもふっくらもふもふのヤマネコらしいオスのお顔ですぐ好きになった。
このころのごくうくんのお部屋にはガラス横にタイヤが寝かされてて、その中でまるっとふくっと寝ている姿が多かったかな。
私は好きになるとまず知りたくなるタイプ。ツシマヤマネコの生息域外繁殖計画の歴史を知るうちに、みやこさんが憧れの存在になる。そのころはまだみやこさんがご存命だったんだよ。でも結局会えなかったな…。
みやこさんは対馬の外の動物園で繁殖を進めていたころ、はじめて本格的に繁殖が成功して7頭も出産してくれたグレートなビッグマザー。その子どもたちが日本各地の動物園で飼育されて、ツシマヤマネコの飼育、繁殖、普及啓発の礎に働いてくれたんだって。
憧れのみやこさんには会えなかったけど、ごくうくんがその息子の一頭と知ってからはますますごくうくんが好きになった。ごくうくんの繁殖も応援してたんだけど…、まゆちゃんとの間に数頭産まれたものの残念ながら産まれた後に育つことができなくて。
飼育員の方、ツシマヤマネコファン、ツシマヤマネコに関わるみんな悲しかったよね。でもその経験もあって、勇希くん&レイラちゃんの繁殖がうまくいったことを思うと決して無駄ではなかったよね。さごくん、さすなちゃんはごくうくんの孫みたいなものだよね。
ごくうくんは三つ子の兄弟。その兄弟の一頭のもみじちゃんも今年の4月に亡くなった。もみじちゃんはツシマヤマネコの生息地である対馬で、動物園で生まれ育ったツシマヤマネコが野生に帰るプロジェクトのために1年間対馬で生活して、余生を富山で穏やかに過ごしていたところだった。
14歳、15歳といえばイエネコでもおじいちゃんおばあちゃん。病気になって命の終わりを迎えてもおかしくないこと。もみじちゃんの訃報を聞いたとき、脳裏によぎったのはごくうくんのこと。
ごくうくんにもっと会いに行かなくちゃ。そう思ったころ。
会いにいったとしてもコロナ禍で遠くからしか会えないもどかしさ。それでも望遠レンズをのぞいてかわいいお耳を見ては癒されていた。
そんな折、Twitterのツシマヤマネコ界隈で「ごくうくんの頭にコブができているのでは」と話題になる。ぶつけた時にできたタンコブでは?という方もいたけど、日を追うごとに大きくなるものに私は単なるタンコブではないのでは、と不安が大きくなった。それが2022年7月のこと。
しばらくしてやはりコブは放置できないという方針になったのか、ごくうくんが療養に入り手術したというお知らせが公式から情報が出た。ごくうくんにまた会えることを祈った。それからしばらくした8月上旬、ごくうくんが療養から戻ったという知らせを受け東山動植物園へ向かった。
手術跡はまだ毛が生えそろっておらず一見痛々しいようにも見えたが、ごくうくんを長い時間?見守っているらしいツシマヤマネコ好きのお姉さんから「元気にごはんもらってたよ」という情報をもらい、ほっと胸をなでおろした。
これが最後に会ったごくうくんになった。
このあと、また頭の腫瘍が大きくなり再び療養期間に入った。もうバックヤードで余生を過ごすのかと思われたが、運動場が好きなごくうくんのために飼育員さんが運動場をすだれで隠し、ごくうくんが落ち着いて運動場で過ごせるように工夫されていたそうだ。すだれも隙間があるのでそこからごくうくんの様子を見ることができた方もいたそうだ。
東山在住の三頭がごはんをもらっている動画も出て、少し足元がおぼつかないおじいちゃんヤマネコに見えるけど、元気そうでよかったなぁとニコニコしていたところの訃報だった。
最後まで好きな場所に長くいさせてもらえて、ごはんも食べることができたんだね。
いつも穏やかにツシマヤマネコ舎にいてくれたごくうくん。
ツシマヤマネコを大好きにさせてくれてありがとう。
ちょっとさみしくなるな。
これからもずっと大好きだよ。