末期でも笑える日々♪~コロナ禍の入院~
2022年5月19日から緊急入院した父は、次々と検査を受ける事になりました。
コロナがなければ、毎日でもお見舞いに行きたい気持ちでしたが、それはどうしても叶わず。
父の気持ちが落ち込まないように毎日LINEで家族連絡を入れました。
2日に一回は、父に頼まれたものを専用窓口へ必死に預けました。
☆重要な選択④
(お見舞いに行けない代わりに何ができるか。一生懸命に考えました。
父にとって家族のお見舞いも全くない中での入院。ただでさえ入院は気が滅入ります。そこで父にはこのように連絡を入れました。「お見舞いに行けない分、遠慮しないで届けてほしいもの逐一連絡して欲しい。そのほうが嬉しい」と伝えました。言葉で伝えなければ伝わらない。その日から父は頻繁に、遠慮なく、届けてほしいもの連絡してくれました。このおかげで私たち家族も、お見舞いに行けないもどかしい気持ちが少し救われていたような気がします。)
命に関わる早急な治療と、詳しい検査が進む中、担当の医師から電話が来るようになりました。
コロナ禍の入院が悪いことばかりじゃないと思ったのは、医師が直接電話をしてくれるようになり話が早く伝わるという点でした。
通常は、病院へ赴き話を聞く流れが多いと思いますが、コロナ禍ということもあり、私たちからも直接医師へ電話相談をすることができました。
医師から家族に伝えられたのは、ステージ4の食道癌であること。
リンパにも骨にも転移があり、手術は不可能であることでした。
抗がん剤治療を考えているが、緩和ケアという選択肢もあること。
母が医師に余命を聞くと「確かな余命を言える段階ではない」とのこと。
医師は父本人に今の身体の状況全てを伝えるのが良いと言いました。
☆重要な選択⑤
(母、妹、夫と私で実家へ集まり、父へどのように伝えるか話し合いをしました。ストレートに、「転移」と言う言葉、「ステージ4」と言う言葉を使わないで欲しいと医師にお願いしました。食道癌であること、リンパにもガンがあること。抗がん剤の選択肢があることを伝えてもらうことになりました。緩和ケアと言う言葉は、まずはふせました。近年は全て告知することが一般的なことは家族も重々承知でした。
本人が自分の身体のことを知る権利があると言う意味でも、そして、後悔なく人生を過ごすと言う意味でも。全てを告知するのが大切なことは知っていました。それでも父の性格を考えたとき、お見舞いができない入院中に、全てを1人で受け止めるのは違うと思いました。)
実は、この時の妹は、そんなに情報操作していいのかな。と疑問に思い心を閉ざしていたようです。
それを家族に言わなかったのは、妹自信の感覚に自信が無かったこと。
そして、私、夫、母が暴走してるように思えて、言っても伝わらないと思ったからだそうです。
妹は、「父へ全て伝えたい。父の本当の希望を叶えたい」と言う本音があったようです。
後日でも、その思いをあきらめずに教えてくれた妹に感謝です。
5月26日(木)、父を含めた説明の際は、一旦オブラートに包む形で伝えました。
食道癌、そして、リンパにも癌があること。抗がん剤治療を検討してるが、治すと言う意味ではなく、延命治療であること。
すると父から、、、、
「どうしても生存率が気になっちゃうね。」
「苦しみながら死ぬのは嫌だ。」
「一旦、家に帰って落ち着きたい。考えたい。」とハッキリ希望を伝えてくれました。
先生もすかさず「大丈夫ですよ!抗がん剤治療はいつでもスタートできます。ゆっくり考えて下さい」と父に言いました。
先生が席を外した家族だけのカンファレンスルームで、父は、肩を落としていました。
とても怖がっているようにも感じました。
大切な大切な父が、不安と恐怖に飲み込まれそうになっているのを見るのは人生で一番つらかったです。
それでも、家族として落ち着いて対応できたのは、電話で事前に先生と意思疎通が取れていたからだと思います。
先生の必死に寄り添ってくれている姿勢がとても勇気になり、この時の主治医の先生にはとても感謝しています。
「不安なこと、分からないこと、いつでも電話を下さい」と家族に言ってくれていたのです。
医療従事者の方針を押し付けず、丁寧に向き合ってくれたことは一生忘れることはないでしょう。