酒井嘉七「撮影所殺人事件」 考察
こちらの動画の朗読が好きすぎて好きすぎて… また、この話自体謎が多くて、何度も聞いているうちに自分なりの考察が深まったのでまとめてみました。原作は青空文庫で読むことができます。とても短いお話なので、そちらでお話を把握してからこちらを読まれるといいと思います。
作品概要
作者…酒井嘉七
初出…「ぷろふいる 第三巻十一号」ぷろふいる社
同名、似たコンセプトの映画が何作かあるが、恐らく別物
※「撮影所殺人事件」(1929年)(アメリカ)
※「死の接吻」(1933年)(アメリカ)
※「撮影所殺人事件」(1939年)(日本)
※「京都映画撮影所殺人事件」(1995年)(日本)
(同時期に出た映画は偶然なのだろうか🤔)
舞台は1935年?、昭和10年?の日本。西洋の文明がまだ新しく、ハイカラな概念にあふれた世界。横文字を多用しているところからも、当時の文化的価値観が窺える。ビッグハウスってアメリカの俗語で刑務所なんですって…初めて知った… 聖林(ほりいうっど=ハリウッド)とか、タラップ(飛行機や船などに乗り降りするために一時的に設置する構造物。オランダ語で階段を意味するtrapから)とか、聞き馴染みのない言葉が多くて、昭和レトロな雰囲気を感じます。
作者の酒井嘉七は兵庫県神戸市生まれ。神戸の貿易会社に勤務する社員として生活しながら、余技作家として推理小説を執筆していたそうです。元々、外国の文化に造詣が深い方だったんですね。
あらすじ
5年前、復讐のためにある女を殺害した男。5年間、刑務所で服役した後、エキストラとしてある撮影に参加する。しかし、その撮影が、5年前、女を殺したシチュエーションと全く同じで… なぜか殺したはずの女が生きているのを見た男は、台本通りに動く中、女を本当に殺害してしまう——
登場人物
男(Aとする)
主人公。「5年前にある女を殺して5年間刑務所にいた。その前からアメリカでエキストラをやっていた」と自分では言っているが真偽不明。
女
昔、Aを裏切り、5年前にそれが理由でAに殺されたはずだが、今回、撮影現場に現れて、再びAに殺害される。
おでん屋の親父(に扮した男)
エキストラとして撮影現場でおでん屋の親父に扮している男。5年前、Aが女を殺した現場でも本当のおでん屋の親父をしていた?今回、Aに具体的な殺害方法を教えたらしいが真偽不明。
監督
映画監督
友人
Aの友人? アメリカ行きの船の二等機関士。図らずもAの密航を許してしまう
場面ごとの考察
このお話は場面ごとに語り手が異なる。これが考察の鍵かもしれない。
導入(語り手:A)
ここで生まれた謎は、アメリカのハリウッドのエキストラで日本人が雇われるだろうか?という点。それも昭和10年という時代に… そして、「ABCプロや、XYZプロダクションで、毎日のように、エキストラ稼ぎをしていたんです。」とあるが、果たして前科持ちの人間がプロダクションに所属してエキストラになれるだろうか?
最初に読んだ時は特に何も感じませんでしたが、何度も読むうちに違和感を覚えました。
撮影現場での事件について(語り手:A)
ここで生まれた謎は、5年前に殺人を犯したシチュエーションと全く同じ撮影があったら、普通もっと驚くんじゃないか?という点。
Aが5年前の事件を思い出したのは、おでん屋の親父が5年前に見たのと同一人物だと気づいた時でした。でも、普通、台本に目を通した時点で、そして、「神戸の元町」という限定的なセットを見た瞬間、普通なら思い出すんじゃないか?このあたりも違和感を覚えました。それから、Aが5年前に本当にその女を殺し、もし何かの間違いで女が生きていた(または他人の空似)としても、その女とAが会う確立は天文学的数字すぎないか?しかも、その殺した時と全く同じシチュエーションの撮影で… Aがおでん屋の親父に「いつからエキストラなんかに…」と言ったとき、親父さんが「不思議そうな顔」をしたのも気になる。このあたりで、Aが言っていることは嘘なんじゃないか?という仮説が生まれました。
あと、この女が何をしたのかは一切触れられてませんが、それも気になりますね…
警察の事情聴取?(語り手:監督)
ここで一番気になったのは、監督が言った、「刑務所にいたはずの5年間、Aが別のプロダクションにいたことは明白」という点と「Aは精神病者」らしいという点。監督の言っていることが正しいとすると、これがAが嘘をついていることの決定打になると思います。いや、嘘をついている、というよりは、自分でも気づかないうちに事実と異なる認識をしていそう。
超自然的な路線を省くと、やっぱり過去に起きた実際の殺人事件と全く同じシチュエーションの撮影があるって、ほぼありえないですよね…
船での逃走と後日談(語り手:友人)
もうこのシーンが本当のことなのかAの妄想なのかさえ怪しいですが、人を殺してきたのにあの爽やかさ…サイコパスみを感じました… 船で本当に逃げたかどうかは置いといて、私的にこの友人は"存在しない人"ではないかと思います。理由は、いくら信頼できる友人だとしても、変装もせずに白昼堂々、「人を殺してきた」と伝えるだろうか?また、証拠として残ってしまう手紙に事実を堂々と書いて送るだろうか?
あ、変装もせずに、というのは原作の
の部分からです。友人がAを一目見てAだと気づいています。このことから特に変装もしてなかったんじゃないかと思う。でも、普通、殺人を犯して貨物船で逃げるとしたら、変装しますよね… それに、「××君はいるかー!」なんて周りの人に聞こえる大きい声出しませんよね… 走るとか目立つ動きをするのも凄い違和感があります。船内を隈なく探したのに見つからなかったのも不思議です。アメリカに着いて外に出たら日本人なんて目立って仕方ないでしょう… 流石にこの時は変装したのかな?
そして、Aの手紙の中で、おでん屋に扮した親父が、Aに具体的な殺害方法をアドバイスした、という驚愕の事実が発覚。
え?そんなシーンなかったんですけど…
あるとしたら、Aがおでん屋の親父に気づいて、驚いて過去の回想をしている時…?でもその時、まだ女は来てなかっただろうし…どのタイミングでアドバイスを…?しかも、「裏切った女の話をして、殺害の決心を打ち明けると…」と書いてますが、なんでただのおでん屋の親父だった人にこんな正直に打ち明けるの?マブなの?(マブって何語?死語?)しかも、殺害の具体的なアドバイスしちゃうって、この人も何者?これも嘘くさいですね…
ただ、これらもAの妄想だとすると、引っかかるのが「精神病者を装わせた」というところです。果たして、本当の精神病者が妄想の中で「自分を精神病者と装わせる」という客観的な考えが思い浮かぶでしょうか?もしかすると、ここは本当なのか?いやでも、やっぱりAは精神病者で全部妄想かもしれないし… 鶏が先か卵が先か…
まとめ
この作品の面白いところは虚実混同。"主人公がまともじゃない"というトリックで読者を混乱させているところ。私的にAは統合失調症とかそういう類の精神病ではないかと思う。どこからどこまでが本当なのか、最後の友人は存在する人間なのか、手紙も嘘くさい。この話を読んで、島田荘司の「異邦の騎士」を思い出した。この作品でも語り手である主人公が記憶喪失、かつ、巧妙な罠によって喪失した期間の記憶を第三者によって捏造されている。現実と嘘が入り混じる感じがこの話と似ていた。そして個人的にはこの主人公、まんまと記憶をすり替えられたり、鏡の中の自分の顔を見ると幻覚が見えたりと、殺人を犯す素質というか、精神的に少しエキセントリックな部分があったと思う。それと同じようなものをこの作品の主人公からも感じた。色々言動が事実と異なっていたり、普通じゃないんだけど、本人は至ってまじめ…的な… ただ、この点を鑑みて一つ言えることは、Aは演技力がとても高かった、ということじゃないだろうか。演技というか、自分自身それを本当のことだと信じ込んでいるんだけど、そういう点ではエキストラは天職だったのかもしれませんね。だから、Aが(日本で)ずっとエキストラ稼ぎをしているのは本当で、今回、撮影現場で女を殺したのも本当。でも、それ以外は全てAの妄想ではないか?というのが私の結論。(その演技力を生かして船での密航を成功させたのかもしれないけど) もしかしたら、この話はAが捕まって刑務所で書いているお話なのかも。または、おでん屋の親父最強説?
いやー、とっても面白い作品ですね。それを更に朗読の力で魅せられて… 🥺💖最高です。ほんといい声と演技。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
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