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私の音楽史(大学〜留学〜現在)

こんにちは。ふじみにゃです。
私の音楽史と題して、前回書かせていただきましたが、今回はその続編になります。

大学時代から現在までのことを語ります。自分語りで恐縮なのですが、読者の方々にとって何かしらの学びや気づきがあれば嬉しいです。

私の音楽史(大学)

高校卒業してから夢の大学生、キャンパスライフ。何かしらのサークルに入ろうと思ったとき、音楽は自分の大事なアイデンティティだからやっぱり続けたいという気持ちが芽生えていました。

性別関係なく役割が楽器ごとに明確に与えられる音楽サークルは、自身の存在意義を感じられる点で私にとっては魅力的でした

結局野球サークルが続かなかったのもマネージャーなら誰でもいいよねという感じがしてしまったからだと今になって思います。

とはいえ音楽サークルと一口にいっても早稲田には沢山のサークルがあったので、どこにするかは迷いました。
私は前回のnoteで書いたように打楽器の中でもグロッケン(鉄琴)など鍵盤楽器が得意だったので、鍵盤楽器ができますか?と尋ねながら色んなサークルを見ていました。

しかし鍵盤楽器メインで出来るサークルというのはなく、自分の方向性を改めた方がいいだろうというのを感じていました。

今までやってきたのはオーケストラと吹奏楽。もし軽音楽っぽい方で打楽器となるとドラムになります。いわゆるバンドに振り切ったところまで行こうとは思っていなかったのですが、音楽サークルの選択肢を広げるという意味ではドラムの方が汎用性があると判断しました。

加えてドラムには元々苦手意識があり、高校時代まででは不完全燃焼といった感じがあったので、もっと向き合って完全燃焼したいという気持ちが出てきていました。

そういった感じで偶々見つけたのがビックバンドに独自の編成を加えたポップスオーケストラと銘打ったサークルでした。

ビッグ・バンド[big band]

管楽器を主体にした15名以上のジャズのオーケストラ。サックス、トランペット、トロンボーンをメインに、リズム・セクション(ドラム、ベース、ギター、ピアノ)という構成が一般的で、構成は場合により異なる。

ことばんく

東京スカパラダイスオーケストラの曲は高校時代にやったことがあり、オーケストラや吹奏楽よりもラフで自由な感じで、まさに音楽=『音を楽しむ』とはこういうことなんじゃないかという印象が当時ありました。

だからスカパラみたいな音楽ができる点で大変魅力的に感じ、例のサークルにドラム担当として入りました。

私の所属していたサークルはJ-POP、ジャズ、フュージョン、ミュージカル、アニソン、ボカロなど実に多様なジャンルの音楽を演奏するのですが、サークルのメンバーが独自にアレンジ(=編曲)するという特色がありました。

サークルの楽器編成自体が独自のもので、市販されている楽譜がないためです。
編曲する担当のメンバーはアレンジャーと呼ばれ、全楽器の楽譜を作るという途方もない作業をしてくれていました。

私自身はアレンジャーではなかったのですが、一度だけ、弦楽器、木管楽器、金管楽器、ギター、ベース、キーボード、ドラムの全楽器分の楽譜を一人で作成したことがありました。

アレンジしたのは初音ミクで有名になった『千本桜』という曲です。元々日本文化が好きだったので、日本文化×音楽で何か表現してみたいという気持ちが芽生えて、留学前の大学1年生のときに立候補してやらせてもらいました。フルートの子に篠笛を持ってきてもらったり、私自身も和太鼓用のバチでコンガを叩いてみたりと和の表現にこだわったりもしてました。 

千本桜の多種多様な音源を沢山聴き、耳コピして、私なりに色々考えて楽譜は作ったつもりだったのですが、想像以上に難しかったです。自分のやったことある楽器(フルートなど)のメンバーからはめっちゃ吹きやすい!と評判でしたが、

やったことのない特に金管楽器のメンバーからはこんな高さの音は出せないなどと苦情がありました笑

結局私よりも音楽的才能のある別の子に一部作り直してもらって、なんとか本番は演奏することができました。一つ一つ書き起こしていた楽譜をみんなが演奏している姿、一つの音楽として目の前で作り上げられているところを見たときは今までにない感動を覚えました。

私には編曲の才能はないなと痛感した出来事でもありましたが、アレンジャー側の気持ちも理解できるようになったので、挑戦してよかったと思っています。

ドラム自体に関しては、サークルに指揮者がいない分、みんなで演奏中のまとめ役、指揮者は自分であるという責任感でやらせてもらっていました。椎名林檎やMrs. GREEN APPLE、Take Fiveといった曲ができたのが楽しかったです。

私は小柄な方で、全身を使って全力で両手足を使うのはかなりエネルギーを使うのですが(爆音ドラマーと呼ばれてました笑)、それはそれでよくて、ストレスが溜まったときに開放感があるというか、いい気分転換になる楽器だなと思いながら過ごした大学4年間でした。

私の音楽史(留学)

例のサークルに所属しながら、私はニュージーランドへ留学しました。

5ヶ月間という限られた期間ではありましたが、海外でも音楽をやりたい、音楽を通して外国人とつながりたいという想いがありました。

いくつか見学に行って、最終的に2つの団体で活動しました。

1つは、大学の吹奏楽部=コンサートバンドです。私が通っていたのは大学附属の語学学校だったので、そこの大学の学生ではありませんでしたが、コンサートバンドに所属する権利はあるという情報を日本にいるときに仕入れていました。

連絡してから1ヶ月ほど音信不通が続き、もうダメなんじゃないかと諦めかけていたときに返信があり、所属することができました。

フルートかパーカッション(=打楽器)どちらにしようかなと思っていたのですが、あいにくフルートは持ってきていないうえに人は足りていると聞きました。なのでスティックを持ってきているかつ人手不足の打楽器をやることにしました。

実際に団体に属してみて衝撃だったのが、演奏施設や楽器に恵まれていなかったということです。

施設に関しては直前まで演奏できる場所が確保できないということが多々ありました。楽器に関しては常に足りておらず、私の担当していた打楽器は本番前一回しか練習する機会がありませんでした。

普段日本で音楽をやるときに楽器やホール、練習場所、どれだけ恵まれた環境でできていたのかに気付かされました。

そのうえ入ったところは日本人もおらず、語学学校とは違ってみんなネイティブといった感じだったので、自分の拙い英語では太刀打ちできませんでした。冷ややかな視線を感じ、温かく歓迎されている感じもなくて、自分は透明人間じゃないかと思ったほどです。行きたくない日も沢山ありました。

ただ、同じパートの中国系の女性だけはいつも優しく接してくれて、偶々共通の知人もいることが分かったり日本を好きでいてくれているのが伝わってきました。彼女に救われました。

本番はジャケットがいると聞いていたのでわざわざ買ったのに、後になってジャケットが必要なのは男性だけだと分かって無駄な買い物をしてしまいました…
あと楽譜が聴衆に見えないように隠すファイルがいるというのを本番のとき知って(本番前言っていたみたいなのですが私自身聞き取れず泣)

取り仕切ってる指揮者の奥様に強い口調で怒っているような怖い顔をされて凹んでいたのですが、
例の優しく接してくれていた中国系の女性がファイルを余分に持っているからと車で彼女の自宅まで連れて行ってくれて、貸してくれたんです。おかげで周りの目を気にせず演奏ができました。彼女には本当に感謝しています。

先ほど述べたように本番前までに楽器は一回しか触れなかったので、団員と集まっているときは打楽器で代用して自分の担当パートを演奏したり、ゴム板という打楽器の練習道具を購入してホームステイ先で練習していました。

4ヶ月間練習し、本番は30分間の演奏。ライオンキングなどを演奏し、ソロパートも任されていました。

一応コンテストだったので、ちゃんと賞とかもあって、結果は銀賞でした。

指揮者は私の演奏を褒めてくれましたし、コンマス(コンサートマスター)は演奏が終わってからハイタッチして参加してくれてありがとうって言ってくれて。
無事に演奏を終えて、パートのみんなで笑顔で写真を撮れたんです。

色々悩んだことはありましたが、勇気を出して参加してよかったなって心から思いました。

2つ目は和太鼓の団体です。
実は大学のサークル探しをしていたとき、和太鼓サークルも選択肢に入れており、ずっとやってみたいなという想いがありました。
そんな中で音楽の団体をニュージーランドで探していたときに和太鼓の団体がいくつかあるのを目にしたので、これはいい機会なんじゃないか、逆輸入みたいな感じで面白そう!と思って、入ってみたんです。

先生生徒含め日本人は私だけなのに、挨拶や掛け声は日本語で不思議な空間でした笑

一つ目のコンサートバンドと異なりみんな少なからず日本に関心を抱いている方々だったので、程よい距離感で一緒に演奏を楽しめました。

和太鼓とドラムの違いは何だろうと考えたときに、一番感じたのは和太鼓の方がスポーツに近いという感覚です。

和太鼓を演奏する前に必ずストレッチをしていました。一つの和太鼓を4人で順番に移動して演奏したりもするので、一糸乱れぬ動きも求められました。休憩するときは水分補給必須の状態で、本当に運動している感じがしました。
みんなで一つの和太鼓を回す分協力する一体感みたいなのもあって、緊張感がありながらも楽しかったという思い出です。
残念ながら私が所属していた期間に発表する機会はありませんでしたが、演奏動画だけ撮らせてもらって記録としては残すことができました。

2つの団体での演奏についてお話しさせていただきました。言葉が上手く伝えられないときも音楽が繋いでくれた気がして、音楽は国境を越えるんだなというのを体感できた、どちらも貴重な経験でした。

私の音楽史(2025年現在)

大学を卒業してからは、めっきり音楽に触れる機会が減りました。触れる機会はあることにはあるのですが、学生の頃のように集団で音を奏でることはなく、自宅で所有している楽器を時折取り出して演奏すると言った具合です。

自宅にはピアノ、フルート、アコースティックギター、グロッケン(=鉄琴)があります。

楽器ごとに身体の使う部分が違って、演奏すると自分のキャラクターも変わるような感覚があるのが面白いところです。(例えばフルートは口を使うので音色を通して語っているような気持ちになります。)

ジブリやディズニー、他にも過去にやった曲などを思い出しながら演奏したりしています。

私が今音楽に求めているものは何だろうとふと考えることがあります。

今の私にとって音楽とは、気分転換であり、自分の気持ちを素直に表現できる場所なのかなと思います。

言葉では言い表せない大切な想いを、音楽の前でなら真っ直ぐ伝えられる。

自分の音楽が、聴いてくれている人にとって心に響くものであってほしい。少しでも日常に彩りをもたらせられたり、感動を与えられたり、癒しの時間になっていたりしてほしい。

想いが届いていたらいいなと願いながら、時間を作って練習して、時々自分の音楽をシェアしています。

最近はその想いが届いてないような気がして、目的を失ったような感覚であまりシェアできてませんが。。

音楽って衣食住とは違って、なくても生きていけるとは思うんです。
でも生きる糧にはなるんじゃないかなと。
コロナ禍で米津玄師の『Lemon』の鉄琴の演奏を投稿したときは、みんなのコメントからおうち時間で鬱屈とする中で琴線に触れる演奏ができていたのかなって思ったことがあったので。

楽しみにしてくれる人がいたら、また頑張れるのかな。自己満足になってるだけなら悲しいななんて思っている今日この頃です。

以上、私の音楽史でした。
お読みいただきありがとうございました!

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