放送活動を振り返る①
こんにちは。
先日、大学Nコンが終わりましたね。お疲れ様でした。
私は予選落ちの上、心身ともに不調をきたし、今年の現地参戦は断念しました。
いろいろな気持ちが湧きますが、それは自分で整理していくとして。
今回から、自分がどのように放送部活動に取り組んできたのか、時系列で振り返ろうと思います。
描いたようなサクセスストーリーとは程遠いことをしている一放送部員のつぶやきです。
参考にはならないかもしれませんが、興味のある方は覗いていってください。
※この先自分語り注意です!!!
そもそも、なぜ放送部に?
ここからですね。これも時系列で。
小学1年生
もう10年以上前ですね。
でも実は、ここが私の原点なのです。
小学校1年生の時、学期の終業式かな?
何かのタイミングで、担任の先生がクラスの1人1人に
「いいところ」を書いて「~で賞」と表彰してくれたんです。
私は何を書かれていたかというと・・・
「(日直の)司会が上手で賞」
確かに、当時から人前で話すことは抵抗がなく、声も大きかったのでね。
これが、「私って、話すの得意?」と考える最初のきっかけでした。
小学校4~6年生
高学年になると、新たに始まるもの。
それは「運動会の係」。
「司会が上手で賞」をもらったことのある私は思いました。
「運動会の放送がしたい!」
放送係へ立候補するわけです。
ちなみに定員は各学年1名。
結果
小4 じゃんけんで負ける
小5 くじでまける
小6 じゃんけんで負ける
いや勝負弱すぎかて。
そして、「放送がしたい!」欲を引きずったまま中学校へ進学するのです。
中学生時代(~夏休み前)
放送委員会に入れました。やったね。
転機は3年生の時。
ずっとやりたかった体育祭の開会式の司会をやることに。
原稿に書かれてあることを読むだけでなく、
より伝わるように考え、アドリブで会場への案内や連絡もこなしました。
後日。
ある先生から1通の手紙を見せていただきました。
差出人は、来賓で体育祭に来られていた教育委員会か地域の役員さん的な方だったと思います。(詳細は忘れました)
そこには、
「特に印象に残っているのは、開会式で司会を務めた生徒です」
!!!!!!!!!!!
あれだけたくさんの人が見ていて、
あれだけたくさんの人が活躍している体育祭で。
私の声を聞いてくれていた人がいた。
この経験が、私を放送部へと導きます。
中学生時代(夏休み~)
体育祭をやり切って、夏休みを迎えました。
高校入試を前に、私は3校の高校見学に行きました。
当時、県でもかなり強い放送部のある高校にも見学に行きました。
そこで聞いた、プロのような司会。
本当に心が震えました。
「ここに行きたい!」
そう思いました。
でも、現実問題、その高校は実家からとても遠く。
通えたとしても、部活はかなり厳しいのが現実でした。
結局、諦めをつけるためだけに推薦入試を受け(落ちると言われてました)
それでも悔しくて。
どうしようか悩んでいた時に、担任にあることを言われました。
「校長が家の近くの高校に電話する機会があって、放送部に入りたい子がいるって伝えてくれたよ。
そしたら、今詳しい先生がいるらしくて。」
!!!!!!!!!!
なんという大どんでん返し!
かくして、私は家の近くの高校に進学し、放送に打ち込むことを決めたのです。
次回予告
さて、今回の記事はここまでにします。
次回、いよいよ私の放送部員としての日々がスタートします。
希望をもって進学した高校で私はどうなるのか・・・
お楽しみに!(する人なんているのか?)