みぃべびの生い立ち ひとつめ
自己紹介の記事を見てくださった方、スキ押ししてくれた方ありがとうございます!
初心者で不慣れではございますが、私の生い立ち 家族のことを書きます。
できるだけ自分の感情、記憶に繋げたいので軽めな文で書かせて頂きます。
母はフィリピン人、父は日本人の間に生まれた5人姉弟の長女で、弟が4人いる。
信号機も夜21時以降点滅し始めるほどのド田舎の狭いアパートに住んでいて、私が子どもの頃は父が昼間働き、母は飲み屋さんで働いていた。
というのも、この頃の父はパチンコ大好きの最低最悪酒豪の女好きDV男で 母が大黒柱でなんとか生活をやりくりしている毎日。
夜は私が弟たちを寝かせる役目で、寝かせた後は
本当は母と一緒に寝たい。けど、そんな事言えない。仕事に行かないとまた(母が)殴られる、なぜ母は夜に仕事行かないといけないのか そんな事を当時は聞くことも出来ず、母がその日に着ていた服を洗濯カゴから引っ張り出して 母を思い、母の匂いを嗅ぎ、泣きながら寝る時もあった。
母は夜遅く帰るといつも酔っ払った父に殴られ泣いていて、母は声を殺しながら泣いているのに なぜかパッと起きてしまうのも嫌だった。
そんな母の泣き声を聞きたくなくて布団を被り枕に顔をうずめながら "早く終われ、早く終われ"と思う日々。
母が泣き止む頃に私も寝落ちする睡眠サイクル。
真冬に裸で外に出されていた時は、さすがに寝れるわけねぇ!と思い、父が寝たのを確認した後こっそり玄関のドアの鍵を開け 母に入ってくるように促したが、母は震えながら 怒られるから大丈夫だよ、あんたは寝なさい。 と泣きながら私にされ、無力な自分が嫌も嫌だった。
時には小学校帰り家にコワモテのいかにも!というようなスーツを着た男性2人組が家の駐車場に来てることもあり、なんの用で来ているのか分からないけど、とにかく夜はいつも玄関のチャイムが鳴るとテレビはオフの電気真っ暗にしないといけない暗黙のルールみたいなのがあり、多分この人達のことは友達にバレない方がいいな、と考え何かと理由をつけ友達から離れ 帰るまで近くの草むらに隠れる事もあった。
父は母から巻き上げるお金だけでは足りず、借金をしてまでギャンブルをしていた事をのちに知ることになるのだ。
ある日小学校から帰ると母が私のチェキを持ってきて、腕や脚にある大きなアザの写真を撮って欲しいと頼んできた。
私は何枚も撮り、
「これ何に使うの?このアザどうしたの?」
と聞いても何に使うかは教えてくれず、このアザは転んだり電柱にぶつかったんだよ、でもパパには内緒ね と言われここでも自分の聞きたいこと言いたい事をぐっとこらえていた。
ここまでの話だと父は最低最悪のく○ったれ野郎だが、酔ってない時はいつもニコニコしていて 顔は怖いのに笑うとタレ目になる父の顔が大好きで、私たち子どもには本当によく遊んでくれて沢山遊びにも連れてってくれた。(多少は母のお金で)
特に私は一人娘なので、母が父から受けたストレスを私に当てることがあり、フィリピンならではなのか分からないが ベルトのバックルでしょっちゅう叩かれてた。
すっごく痛いんですよ。
メンズ物のベルトでバックルも大きめのものだから余計に。
バックルだけではなく、その後しっかり皮の部分でもムチのように叩かれていたけどね。
本当は弟たちみたいに私も母に甘えたいのに、母のストレスがこっちに向かってくると 私も反発していたのがよくなったんだろうなぁ…
母が私に強い口調で怒鳴ると父がそれに怒り、私は何とか喧嘩しないように必死だった。
ある日の日曜日、昼間から飲んでいた父と母が口論になり父が包丁を持ち出して母を脅す姿を見た時ゾッとした。
母は小さく丸まりながら泣き顔を子どもに見せないように小さく泣いていた。
この時、何も言えない自分の無力さに心底落ち込み、"私ってなんなんやろ…"と母の震える背中を見ながら感じていた。
その日を境に母は仕事から帰ってくるたびに私たちのおでこにキスをして、
「ママが居なくなったら寂しい?」とほぼ毎日聞くようになった。
なんでそんなこと聞くの?すごく嫌な気持ちとなんとも言えない寂しい気持ちが沢山溢れてて、でもこの時も私は何も聞けなかった。
聞かなかった
何となくだけど、きっと母はいなくなるのかな?と感じていた。
その方が良い。父も母も離れた方がいい。いつしか心の底からそう思う事が増えていった。
そして私が小6に上がった時、予想は的中する。
続きます𓍯
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