ガンになって気付いたこと/ふりかえり
おはようございます。
乳がんサバイバー歴6年目のmiiです。
悪性と宣告されたのは、2015年1月の初めのことでした。
年末に検査し、結果を聞きに行く予約日が確か1月10日以降だったのに、病院から来院日を早めてと連絡があったので、これは悪性なんだと理解した。
その年の1月の初め。
やわらかな陽射しが入る診察室で、先生は淡々と話しはじめた。
細かい説明など覚えているはずもなく、ただ腫瘍が大きいのと、腫瘍マーカーの数値が高すぎるので先に抗がん剤をするということと、子供はもうあきらめざるをえないということだけは理解した。
ひと通りの説明を涙しながら聞いた。
一気に先の見えない灰色の壁が立ちはだかったような気持ちになったが、そんな状況下で身内や大切な友達でなく、自分で良かったと思ったことに少し驚いていた。
先生「質問はありますか?」
mii「先生、私、お酒は…飲めるんですか?」
先生「 ………。」
この瞬間だけ、張り詰めた空気が緩んだのを覚えている。
闘病生活から5年目に入り、ガンになって気付いたことはたくさん有りますが、まずは自分自身を再確認できました。
今日はガンになって気付いた自分自信のことをnoteしたいと思います。
◎好きが大事。
とにかく食べることと酒が自分の生き甲斐である。
自分にとって飲食がとにかく大切だということをあらためて実感した。
そう、当時結婚はしていましたが、前夫は一緒に闘ってくれるような人ではなかったし、今思えば私自身もきっともう彼に頼ろうとも思っていなかったんでしょうね。
辛かった抗がん剤も、入院中も、転移の告知を受けた時も、食べたお料理が美味しいと思えたことが生きてる実感というか、絶望の中での光というか、救われた思いがしたので、それを取り上げられなかったのはとても幸せで有難いと思った。
これは、あくまで私は飲食が好き!というだけで、ライブで鋭気を養って元気になれれば良いし、演劇や映画、写真やデッサンなど、とにかく自分が心から満たされるというモノ、コトに気付けることが大切なのかなと思います。
献身的なパートナーや家族がいるのならきっと1番幸せなことと思います。
◎感情のコントロール。
人は不安になるとイライラしたり、怒ったり、泣いたり、人にあたってしまう。
薬の影響で怠さが続いたり、情緒不安定になったり、鬱になったりとは説明もうけていたが、薬のせいにすることにより、自己嫌悪感が減り、逆に気持ちが楽になり、罪悪感なく手抜き?見て見ぬ振り?ができる図太さを持つことができた。
そして、自分と対話ができるようになり、不安要素を取り除く努力をするようになった。
ようは、抗がん剤をはじめてからのほうが、感情のコントロールがつきやすくなり、30代までの自分よりはいろんなことにゆとり、余白をもつことの大切さを覚えた。
◎命の時間。
宣告されていないにせよ、この5年の間に命の時間について考えるようになった。
今ここにいることが当たり前なこととは限らない。
東北の震災時、関東でも大きな地震があり、友人たちが帰宅難民となったり、熊本震災(じつは最初の手術の日でした)があったり、この度の台風だったり、事件事故など、いつだれが宣告なく最期をむかえるのかなんてわからない。
私はまだその日は宣告されていないものの、健常者よりは死に近い場所にいる(ような気がする)ので、当時地方にいた私にとって、関東で暮らす親たちや友人たちと、年に1度会えたとして、あと何回会えるのだろうと考えた。
毎週火曜日の夜は実家へ電話し、たわいもない話をすることを日課にしたり、帰京時はなるべく親との時間もとるように心がけたり、一般的な命の時間の優先をちゃんと考えられるようになった。
このnoteを最後まで読んでくださった方に、そして自分に伝えたいのは
闘病中であろうがなかろうが、辛い時間もそうでない逆に幸せであろうと、永遠はない。というとこ。
だけどね、悪い方へは行かない。
肝臓と胃腸にはどうか転移しないで欲しいと願う日々。