働きたくないという人の気持ちが分からない

現代に生まれてよかったと思う。堂々と女も働けるので。でも実際女が働けない時代だったとしても別の楽しみ方を見つけていた自信はある。自分でいうのもなんだけど楽しむことに関しては優秀なんで。
なぜ働くことが楽しいか。一つは今の仕事が自分の特性に合っており能力を十分に活かせていること、そしてそれが評価に繋がっていること。心理学的に言えば自己実現欲求と承認欲求が満たされていると言うのだろうか。素養がないんで適当。
人間は社会的動物であり、よほど外れ値でなければ他人からの承認を強く求めている。承認欲求と言うとSNSで盛りまくった自撮りを載せる女子が「承認欲求強すぎ」などと小馬鹿にされるイメージがあるが、あれは至って健全な行為だと思う。むしろ健全な方法で承認欲求が満たされない人間の方がその不満から他者に自分を認めさせるために悪質クレーマーになったり反社会的行為に出たりする危険性が高い。
話を戻すが、私の職場には東大卒はゴロゴロいるし、東大に限らず医者や研究者、日本最高峰の頭脳を間近で見られる。私は賢い人間が大好きだ。正直、その辺の凡人に「頭が良い」と言われることは人生で何百回もあったが、彼らは頭が良いと言うことの本質的な意味を知ることはないし、ただ勉強ができるなくらいの意味で使ってるのだから、大して嬉しくない。賢い人間にこそ承認される価値がある。こう書くと嫌味な言い方だけど、要はその道のプロや天才に認めてもらえるのは格別だろ、って話ね。
二つ目は仕事が私の知識欲を満たしてくれること。刑事司法に携わっていると本当に色々な人間に出会う。医者が患者を教材扱いするのと同じ不謹慎さがあるが、普通に生きていたら出会わない人の人生を垣間見ることができる。また、最新の法改正の動向、制度のあり方や公平な法とは何か、刑罰の意味、果ては自由意志は存在するか、しない場合に刑罰は成立しうるのかなんて法哲学的な話まで考えることができる。そりゃもちろん日々の仕事は事務仕事だったり雑用、地味な力仕事、各機関との連絡調整がメインだけど、正直これだけツールが揃ってる現代、工夫次第でいくらでも時短できるので強制拘束(国会対応やら悪質なクレーム対応)されなければ割と時間の余裕は持てるし、我々が従っているそもそもの法に思いを馳せる余裕もあるというものである。
私はこう言うことを考えるのが好きだし、割とセンスがあるようで色々な会議や勉強会にも呼んでいただいている。
三つ目は、一つ目と関連するが、職場の民度がとにかく高い。人間関係が良好である。職員は人間的にできた人が多く、まあパワハラ気質の人や昨日書いたようにポンコツおぢみたいな外れ値もいないではないが、基本的にみんな頭が良いので仕事はスムーズに進むし、変な人間関係で揉めることはない。そして何より知的交流を好むので会話が大変面白い。芸能人の不倫とか推しとかそんな話、正直私は興味がないし、周りも興味がない。最高の環境だ。そして学生時代にバイトしていた底辺工場パートのように無駄に攻撃的な人もいない。
頭の良い女(男も)はちゃんと自分の才能を活かせる環境に行った方が良い。周りがバカばかりだと才能は潰されるし自尊心も傷つけられ、なんとはなしに孤独感を感じたり、本当の意味で私と話をしてくれる人はいないなどと感じることになる。でも世界は広い。あなたがもし本当に賢く、そして良い人間であるならば、自然とその場所にたどり着くだろう。そして、ネットでは30過ぎたら人生終わりなどと(特に女は)言われるが、そんなのもくだらない凡百の意見であり、頭の良い人間はむしろ中年期の方が楽しいと思うぞ。と言う私も20代なので、知らんけど(笑)

【蛇足】
 書かない方が印象が良いことは百も承知だが、昨今のSNSでは「少子化社会を解消するため女性の社会進出を制限しろ」「私は女だが、家庭にいる権利を寄越せ、フェミニズムが日本を駄目にした」などという人がいる。前者はそもそも女性を同じ人間と思っていたら出てこない発言であり、それこそ女性を子供を産むためだけの機械と言っているのと変わらないのである。また、そもそもなぜ女性が社会進出をしたのか、その背景に思いを馳せず(長くなるので別の記事に書く)、ただ制限すれば事態が解決すると思ってるあたり、やっぱり馬鹿って救えねえよな、と思うし、どうせ理解できないで対立を生む言説(それも凡庸な)しかできないんだから社会や政治のことなんか考えないで身の丈にあった芸能人の不倫の話でもしてろよ、と思う。
後者については理解はできるし、家庭にいたい女性も安心して生活できる社会になるのが良いと思う。が、今も別にそうじゃないの?昔より減ってはいるけど、専業主婦家庭なんてたくさんあるよね?みんながみんな専業主婦してくれないとできない、みんな一緒が良い!っていう女子特有の横並び思想…?子供達に理想の家庭像として女は家庭、男は仕事、と教育しろという趣旨であるなら、それは子供の権利を侵害してませんかね、少なくとも現行の日本国憲法においては。
そして、ここからは完全に私見かつ単なる選民思想だが、私たちのような選ばれた人間のことは凡人にはわかるまいよ。働く才能、楽しむ才能がない人がほとんどである。ほとんどの人間は無能で不満ばかり言っている。だから、「女はこうあるべき、共同体のためにこうあるべき」という同調圧力や君たち凡人の「型」に私をはめないでくれと思う。私はあなたたちとは違うし、(というか、大衆側が私を「変人」扱いしていたのに、今更「普通の女はこう」と型にはめるその傲慢さが許せない)まあできれば普通の女でいたかったとは思うが、このように生まれたのだから仕方ない。どうか抑圧されている若い「変人呼ばわりされる」女性たちが自由に生きられる世界でありますように。私は25歳まで周りに馴染めず人生が全く楽しくなくて、社会や人間に絶望して何度も自殺未遂をして、その後ようやく自分の才能が花開いて他者との交流がまともにできるようになった人間なので、こういう例もあることを参考にしてもらいたい。
もっとも、結婚や出産をしていないので世間的には失敗作の部類、こと少子化社会においては一部過激派からは殺せとまで言われる存在に近いだろうが、法を犯さない限り、というか仮に犯したとしてもそんなこと言われる筋合いはないし、言ってる方が健全な社会のために死んだ方が良い危険思想の持ち主だろうと皮肉を言ってやろう。
また、みんながみんなお前のように自由に生きたら社会が崩壊する!という人もあるだろう。しかし、言っておくが私は法は犯さないし、子供を産みたくない人(私は産みたくないわけではないがある意味信仰上の理由で子を持たないと思う)が多数派なのであればそもそもここまで人間社会が発展することはなかっただろう。別に女を家畜のように縛り付けて子供産ませてたわけではないのだから(経済力の剥奪という点では社会的に女を家畜扱いしていたと評価できなくもないが、戦争だって同じように単純計算で国民の半分を占める人間の反対があってはその政策は実行できないし仮に某国の独身税や中絶禁止のように実行したとて長続きはしないだろう。最近だと韓国の戒厳令のように国民の反発が強ければ政治は死ぬ。国家は国民の信託の上に成り立っているし、また国民は国家のためにあるのではなく、国家という共同体は個人の余剰で維持するものだと私は思っている)。むしろ子供を持ちたかったのに、結婚したかったのにできなかったという人の声もあり、婚活市場がこれだけ潤っていることからすれば、結婚や出産を主体的にしたくない女というのはマイノリティ、、というか、言っちゃなんだが生物としては自然と子供を産む個体が多数派なのは間違い無いと思われるので(素養ないので適当)、そこを社会がどう折り合いつけていくかっていうのが政治だと思いますけどね。
またテーマが拡散しすぎるので一言付け加えるだけにするが、女性の社会進出が進んで少子化していない国としてルワンダが挙げられるが、これはこの国が貧困だからである。もちろん女子教育や女性の社会進出と少子化は関係があるが、福祉国家も少子化対策という観点からはデメリットの部分もある。小さい単位で言えば貧乏子沢山という言葉があるように、子供を労働力として必要とする家庭ほど子供を作る動機があるし(農村部で子供が多いのはこれ)、逆に金持ちや中間層には子作りは完全に余力でやるものになってしまっている。で、中間層は余力がない。良いことだけど子供の権利も強すぎるし何より核家族、これが良くないと思うんだよな。まあ仕方のないことだわ。

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