【私の家族⑩】
コロナ禍真っ只中は朝早く夜遅い日生活を約3年続けました。
コロナ禍に長女は中学生→高校生になり、次女は小学生→中学生に。
夜間オンコール対応もしていて、もともと急変等があれば仕事に行っていたので、娘達の中では母は忙しい人。自分達を育てるために働いてくれているけど、働きすぎじゃないか?と感じていたようです。
(最近長女から聞いた話)
コロナウイルス流行からがんになる2024年6月までは振り返っても思い出せないほど怒涛の日々を送っていました。仕事がとにかく忙しかった。仕事しかしていなかったなと振り返っても思います。
そんな矢先2023年の年末から身体のだるさが増し、しんどいと感じることが増え、2024年5月の検診で異常が見つかり検査で肺がんと診断されました。
父が亡くなってから、なんだか波瀾万丈な人生で、やっと娘達も大きくなり手がかからなくなってきたなーと、感じていた矢先のがん告知。
なーんで私?と思うと同時に、忙しすぎたせいか?食生活か?と自分を責めたりもしました。
告知を受けてからは、私はとにかく焦りと不安、娘達も大きな不安に襲われる中、私の母は興味がないのか無反応で、お願いはしたけど手術にも来てはくれず、病院からの電話も受けない。抗がん剤治療が始まり体調が優れなくて色々と助けてとお願いしてもダメ。妹には会ってはいませんが、「直接話をしたい」と言っていたらしい話を母から聞きました。
でも色々あって距離を置いており、がん告知を受けたばかり。もし以前のように傷つくことを言われたらと思うと妹と話そうとは思えませんでした。
今も同じ。そっとしておいてほしいと思っています。
仲良く出来れば家族は幸せなんだろうな。病気になってそう思うことが増えました。でも、今こうやって振り返ってnoteを書いていても、私の家族には無理だな…と思っています。
私は肺がんになったので、私のこの先の人生や寿命はわかりません。ただ娘達には人生の中で悩んだり考えたりする事の一つが母の病気だと言うことは申し訳ないなと思っています。
昨年妹は不妊治療の末に子供が生まれました。
自身が母になり、思う事があるのかもしれません。
(あ!お祝いだけはちゃんと包みました。)
母も妹も自分たちは良いのかも知れませんが、言われた方は心に傷が残ったまま。長女は言われた事は一言一句覚えており、「許せない」とまで言います。
私や元夫、娘たちとの出来事は母や妹にとっては過去のことなのかもしれませんが、私と娘達がそれを100%許せる日はまだもう少し先にはなりそうです。
今一番に思う事。
私は自分の母のようにはならない。自分の親みたいには子育てしない。(過保護過干渉)と心に決めて娘達を育てて来ました。そして、いつも1番の味方でいられるようにと、娘達との関係は良好に保ってきたつもりです。ですので、母娘の関係は悪くはありません。
がんにはなりました。でも娘達との穏やかで幸せな日々が1日でも長く続くことを祈って、母と妹とは苦しくならない程度に距離を取りながら、再発しないぞ!と願い強い気持ちで生きていこうと思います。