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感動する芝居は上手い下手だけでは語れない。

まだ事務所に入ったばかりの頃です。
当時の私は厳選せずに色々な舞台を観に行っていました。
だからこそ、所謂 "ハズレ" に当たる確率も高かったのですが、おかげでハッとした出来事がありました。

今回は、そんなハッとした体験を語っていきます。


12人の怒れる人々

あなたは『12人の怒れる男たち』という作品をご存じでしょうか。
1954年のに放送されたアメリカのドラマで、その後1957年にアメリカ映画として日本に入ってきました。
そしてこの作品、なぜか新人声優に舞台をやらせる際に選ばれる傾向が高い作品ですが、舞台になる時には男女混合の『12人の怒れる人々』というタイトルになっていることが多いので、このタイトルでご存じかもしれません。

父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、陪審員が評決に達するまで一室で議論する様子を描く。
法廷に提出された証拠や証言は被告人である少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していた。全陪審員一致で有罪になると思われたところ、ただ一人、陪審員8番だけが少年の無罪を主張する。彼は他の陪審員たちに、固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを要求する。
陪審員8番による疑問の喚起と熱意によって、当初は少年の有罪を信じきっていた陪審員たちの心にも徐々に変化が訪れる。

Wikipedia

映画でどうだったか忘れましたが、舞台となるのは真夏の暑い日の密室。
空調設備が壊れていてまさに蒸し風呂というその部屋で、陪審員たちは議論します。

想像してみてください。
外は37度。
部屋の中はクーラーが壊れていて扇風機もない。
日差しは窓から燦燦と照り付けて、狭い部屋に12人が詰め込まれ議論をさせられている。

・・・イライラしてきませんか?

実際この物語、12人の人々が暑さと議論がまとまらないところから、小さなイライラを募らせていくお話でもあります。
時間が経つにつれてイライラのボルテージは上がっていき、その怒りのぶつけ合いになる・・・というお話です。

しかし実際のところはこの12人の人たちもただイライラして怒っているわけではありません。
それぞれにバックボーンがあり、暑さだけではなく、怒りを抱えるポイントがあるんです。
そしてその "怒り" と一括りにされている感情の裏には、悲しみや罪悪感や後悔や正義感などといった別の感情が隠れています
つまり、同じ "怒り" という感情を体現し表現していても、12人それぞれに言い方も 行動も アプローチも異なって見えるはずなのです。

口で言うのは簡単ですが、めちゃくちゃ難しい話です。
一室が舞台なので場面転換もないですし、12人が30分~1時間という長い時間イライラしたり怒ったりしているのを見続けるわけです。
だからこそこの話を演る時はバックボーンを大切にして、いかに12人のアイデンティティを観客が垣間見えるようにするかが大切なんです。

だって、イライラしている喧嘩のシーンを1時間もお金払って観させられるなんて、拷問に近いじゃないですか(笑)

でもこのバックボーンを垣間見せるって難しいんですよね。
正直新人が12人集まってできることではないと私は思います。

それを実感した公演と、覆された講演がありました。

新人がこの話を演るのは無理だと実感した公演

養成所時代の友人から「某大手系列の事務所に所属し、初めての仕事として舞台をやるから観に来てほしい」と誘いがありました。
その舞台はその大手系列をはじめとした複数の名だたる事務所の新人が出るということで、勉強になりそう!と喜んで観に行ったのを覚えています。

先に言っておきますが、大手の新人が下手ということではないです!
たまたまそういう公演に当たってしまったということです。

共通の友人と観に行き、観終わって外に出て、駅のホームでやっとお互いに口を開きました。
「つかれた」
「あれは面白くない」
「しんどかった」
「大手の新人ってあのレベルなの?怒る演技が子どもみたい」
「これに4000円・・・。無料の発表会でもつらい」

・・・今考えてもなかなか辛辣な感想です。
面白いことに、演技自体は下手ではありませんでした。
少なくとも棒読みの人はいませんでしたし、どんなキャラクターなのかという個性の差については、登場の際にわかりやすく演じ分けられていました。
ただ、それが怒りの感情となった時にキャラクターを維持できていなかったということだと思います。
この物語の本質的に正しく伝えられていなかったということでしょう。

なぜそう思われてしまう公演だったのか、と一緒に観た友人と2人で考えました。
その時に上がった意見を箇条書きにすると、
・出てきた時のキャラクターはできているのに、感情が付与されると本人に戻っている
・怒りという感情にとらわれていて、怒り方が怒鳴るのみで単調
・イライラしている、怒っているということだけが全面に出ていてそれだけがこちらに伝わってしまうからこちらもイライラしてしんどくなった
・台本通りにセリフを字面で覚え、動きを覚えてやった感があり、相手の言葉や動きを受けての反応になっていないから予定調和感がある

というかんじです。

ではどうすればよかったのでしょうか。

言葉でいうのは簡単ですが、12人いたら12人とも同じ人間ではありません。
「怒り」という感情はテンプレートではなく、怒り方は人それぞれ違うはずですし、怒りの対象となるものによって、怒り以外の感情が沸いているはずです。
もしそれが少しでも見えていたならば、本来のテーマについて考えさせられる舞台になったと思います。

新人でもこの話を演れるのかと驚いた公演

先の公演を観て1か月後くらいでしょうか。
専門学校に通っている後輩から、「発表会があるので観に来てください!」と誘いがありました。
題材が12人の怒れる人々だというので、前のことを思い出し苦い気持ちになったのですが、まあ発表会だから・・・と観に行くことにしました。

しぶしぶ観に行ったその発表会で、私はハッとさせられました。

正直セリフ回しも拙く、動きもぎこちなく、演技が上手いとはとても言えない公演だったのですが・・・感動したんです!
真摯に台本と向き合ったことが一目で理解できるほど、相手の言葉を聴き、考えて反応し、しっかりとバックボーンがあって、怒鳴り散らすような怒り方だけに偏らず、この人は何か理由があって怒っているのだと思わせる説得力がありました。

45分ほどでしたが、あっという間に終わってしまったと思えるほど、素晴らしい舞台だったのです。

技術を学び、経験を積めば積むほど、小手先の演技になりがちです。
これは自戒でもありますが、テクニックに頼って本質を蔑ろにしがちなのです。
演技を始めて1年足らずの人達がここまで本質的な台本読みができているのは珍しいケースではありますが、だからこそ、テクニックの上手い下手ではない、心に訴えかける、感情を揺さぶる芝居ができているのです。

これこそ芝居だ、と頭を殴られたような衝撃でした。

まとめ

役者の先輩や音響監督さんもよく、「そのセリフひとつに対して感情がひとつとは限らないし、バックボーンによってその感情の表現は変わる」とおっしゃいます。
ワークショップなどで口酸っぱく言われた経験がある方もいるでしょう。

【台本を読んでくる】というのは、アクセントや漢字を調べたり、タイムをとったりするだけではないということを忘れてはいけません。
テンプレートとなる定番の感情表現はあると思います。
しかしそれがキャラクターに合っているのか、どうすればキャラクターに合うのかを考える必要があります。

至極当たり前のことですが、特に新人時代には陥りがちな落とし穴。
今一度顧みるのも大切かもしれません。

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