東寺の夜間特別拝観に圧倒されてしまった話2024
初めて行った東寺。金堂の薬師三尊像。講堂の立体曼荼羅。二つを何往復もしてしまった。
まずライトアップ。暖色のライトのみ。白と黄色を組み合わせているようだ。緑の木に当たれば緑色に光るし、紅葉している部分は紅葉が鮮やかに浮き出る。そして五重塔や金堂のような建物は金色に輝いていて、闇夜にそこだけ浮き出て見える。
そして何より仏像だ。釘付けにされた。
金堂の薬師三尊像。こちらは無駄のない洗練された三体が、高いところからこちらを見下ろしてくる。薬師如来は半眼で渋い顔で冷たくこちらを見ているが、それが頼もしさを与えてくる。1600年ごろの復元制作と調べたが、奈良の様式を再現しているため、如来の足元を十二神将が囲っているという。
ライトアップで金色に輝いているので、より本来の如来のお姿はこうではないかと思う。突然、この広いお堂に輝きと轟音と共に降りてきたようだ。圧倒されてしまった。
横から見ると優しい顔をしているようにも見えるのは不思議だ。厳しさと優しさを足したら、頼もしさになるものだろうか。
薬師如来とは現世利益。今を生きる我々を病や苦悩から救って下さる。その頼もしさを感じる。時に口に出すことが憚られる利己的な願いをも、受け止めてくれる静かな強さがそこにはあった。
次に講堂の立体曼荼羅。
中央には大日如来、それを囲う4体の如来で五智如来。その左には五大明王、右には五大菩薩。
空海は曼荼羅を実際に再現して見せたのだという。我々に仏たちの世界を見せたいという想い。
金堂と違うところといえば、それほど見下ろされている感じがしない。というか、実際に低いのだと思う。天井も低い。中央の大日如来とはとても目が合うし、威圧感は無い。
だからこそ、実際に曼荼羅のそばにいる、いや中にいるような気分にさせてくれる。空海はそれを狙ったのかなと感じた。
大日如来は若々しさ、エネルギーを感じる目をしていて、まっすぐこちらを見つめる。真言密教のトップである仏と、真正面から対峙する。そんな経験、初めてしたような気がする。
俯瞰してみても壮観だ。これだけの仏たちが揃っているのだからそれはそうだろう。これらがライトアップで金色に眩い光を放ってくるのだから、講堂の中はとても眩しかった。圧巻である。
そしてこの二つのお堂が縦に並列されていることが、東寺の素晴らしさだと思った。
まだ医学も頼りにならない時代。人間はいつ死ぬか分からない。だからこそ天から降りてきたような静かな薬師三尊の姿は、心許ない私たち人間の心を支えてきたのだと思う。
それでも人間は死にゆく、儚いものだ。だからこそ救いが欲しい。講堂の立体曼荼羅のような眩い仏の世界の扉を開ければ、実際に仏と共に在ることが出来る。仏の世界に行ける。
昼間行ったら違うのだろうか。
如来は身体が金色に輝いているというが、実際に金色に輝いている姿を見て、より仏の「人ならざる」存在感が際立つようで、息を呑んだ。