『どこへも行けない僕たち』にのせて
Twitterでフォローをしている
あんみつさん(ゆるいほう)が紹介していた
松本窓さん監督のリモート映画『どこへも行けない僕たち』を観た。
まだ会ったことのない、
高校生の男の子と女の子の自粛期間のお話。
流れてきたあんみつさんのツイで気になって、
その流れで、休日の今日、一気に観た。
私のはなし。
この期間、携帯を触る時間が仕事以外でもとても長かった。
きっと一人暮らしのひとは特にだと思うけど、
放っておくと誰とも会話をしない。
スーパーやコンビニで店員さんとの決まり切った言葉のやりとりだけで何日も過ごすことばかり。
いつもはそれほど感じないのに、気持ちにも何度も波が訪れて、心穏やかにいられる日もあれば、これからの不安や寂しさが身体を巡るときもあった。
4月は特にそうだった。
自分でも「だいじょうぶわたし?」と語りかけてあげたくなるほど。
そんなときは、ひととの関わりに救われていた。
これまでは、メッセージのやりとりより、直接会って話をしたり、手紙で伝えるほうが大切だと思ってきたけれど、この期間は、その、メッセージにも、ちゃんと心は通っていると、より強く私は思った。
くだらないやりとりも、相談ごとも、不安に思っていることも、全部。
それから、ビデオ電話も、電話もそう。
元気そうな顔を見れるとほっとできたし、いつもみたくケラケラ笑って、誰かと同じ時間を共有できることの有り難みや、心地よさを、電話のたびに思い知った。
そして、その度に”逢いたいな”、とも思った。
私がやりとりをしていたのは
遠くのひとが多くて、どうしても気軽に逢える距離じゃなかった。
自分の意思で”逢わないし”、いまの状況では”逢えない”。
どちらも確かにあって、頭では分かっていても、
自分の心の、そのバランスがとても難しかったな。
一体いつ逢えるんだろう?
そんな問いかけは緊急事態宣言が解除されたいまでも、
解決せずに、未だにずっと続いているけど。
映画を観て、形は違えど、そんな毎日が私にもあったことを、
なんだか、もう随分と過去のことのように思ってしまった。
(とはいえ、実際は県外移動は控えているので状況は変わらない)
あっという間に2ヶ月は過ぎていったけど、
2ヶ月前とは世界も、福岡も、私も明らかに変わっている。
こんな事態にならなかったら、きっといまは、また違う私だ。
私は、いまの私が好きでいられてる。
毎日のように、逢えないみんなに、逢いたいって思っている。
元気でいてね、私もいるからって。
けど、逢えなくても大切なものは大切で、
いま、こうやって想うだけで届けばいいのにって
今日も思っている。
主題歌の「足りない」という曲がとてもよかった。
この期間の気持ちのことを、
ずっとちゃんと書きたかったけど、ずっと迷って書けなかった。
でも、それを、書こう、書きたいという気持ちにさせてもらった。
この映画にとても感謝しています。