これがわたしの生きる道
(自分のBlog2018/07/22より一部抜粋して転載)
2018年前半の大きな大きな人生の分岐点のこと。
6月上旬に出張で鹿児島に1週間行って
鶴が福岡にやってきて我が街でのLiveからの
鱧ブラザーズで福岡から札幌。
そして、お店のAnniversaryを進めていると
あっという間の7月。
こちらは鹿児島の山形屋さん。
いつのまにか上半期が終わっていました。
いやもはや7月さえも、もう終わりそうだ。
目まぐるしかったなあ。
実は、来年の春にお店を離れることを
4月のころに決めていました。
お店と同じくらい愛するものがあって、
いっしょに仕事をしていきたいと思ったから。
ただ独断で、「できる」も「できない」も
「辞める」も「辞めない」も決められなかったけど、
気持ちだけはしっかりとあったので、
そのためにできることをと、進み出していました。
春にそう決めて動いて決めて動いて行く中で、
それはもうバンジーの連続で、
(バンジー=バンジージャンプする覚悟で飛び込みやり遂げること)
そのことを店のオーナーに伝えるときは
それは心がもがれそうに苦しくて恐かった。
史上最恐だったかもしれない(わたしの心の中の話)。
愛をいつももらっていることを
普段から感じていたけれど、
そういう場になってもらう数々のことばは
いつもの何十倍も感じるものね。
ほんとうに愛してもらってたんだねわたし。
いろんなことが頭を巡って巡って
いろんなひとのやさしさと愛を感じた。
もう一方のかたには、
今まで伝えてきた熱意を確かに受け取ってもらえていて、
仕事をするにあたり前向きな話をしてもらえた。
その分野に知識がないわたしにでも
分かるようにやさしく話をしてくださり、
わたしが「できること」と「やりたいこと」を聞いてくださった。
どっちもしていくことを提案してくれた。
三方のメリットにもなるし
その方がわたしの幅が広がることを説明してれた。
福岡にいる意味と良さも話してくれた。
すごく貴重で、とてもいい時間をいただいた、感謝です。
頭にない考えをもらって、改めて整理してみた。
両方することが怖いと思っていた。
どちらも大切で大好きだから、
どっちつかずになって、
どちらかがダメになることが怖かった。
でも、本音の本音は、
どっちもしていきたかったんだわたし。
でも、失敗するのが怖いから、
ひとつだけにしようとしていた。
でもね、まだやってなかった、わたし。
やってみないとわからないのにね。
そのあと、またオーナーと話した。
どっちもやっていきたいことを話したら、
よろこんで、受け止めてもらえた。
お店を辞めることをやめた
これからの未来もいっしょに。
右往左往することは悪いと思っていたけど、
やさしく受け止めてくれて
ありがたいばっかり、ほんとうに。
この一連のことを振り返ってよかったなと思うのは、
わたし自身がとてもフラットにいろんなひとの話を聞けて
どれをも「ひとつの考え」として素直にまっすぐ
ひねくれることなく受け止めていたということ。
その上で、「わたしがどうありたいか」を考えることができた。
わたしを優先できたこと。
それから、離れるつもりだったことを知ったスタッフから、いろんな気持ちを聞けたこと。
これも、そのまま辞めていたら、
聞くこともなくわたしは次に進んでいただろう。
お店のことをより愛おしくなった。
お店はAnniversaryを終え3歳になりました。
そのことはまた別で書くとしよう。
わたしの気持ちをとても大切にできたことに
わたしの成長を感じた、うれしかった。
結局は、何をおいても、わたしがどうしたいかだ。
その決断をやさしく後押ししてくれるひとたちが
わたしには周りにいてくれる。
それはとてもとても、しあわせでありがたいこと。
わたしは、わたしらしく生きる
これがわたしの生きる道。
というフレーズと共にPUFFYさんが頭によぎって、
どんな歌詞だったっけ???
と思ってググってみると、
改めてゆるゆるでとてもいい歌詞だった。
(気になる方は是非調べてください。)
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