子育てには考えても意味のないことがあり過ぎる
photo by 薄氷
あっという間にクリスマスが来て正月が来る現実に震えている。
うちの子達は2人とも1月生まれなので誕生日も、もれなくダブルでやってくる。
もうすぐ6歳と、3歳になる。
そりゃワシも30代最後の年になるわけだ。
サンキュー30代。よー頑張ったで。
子育てをしていると、時間があっという間でホント余裕無くて、なんでこんなに時間に追われて子供と向き合う時間がないんだろうと悔しくなる。
子供のためのご飯を作ったり世話をしたり送迎をしたり次の日の準備をしたりするだけで、もうこちらはヘトヘト。家事も仕事も全然こなせてない。子供のことをしているのに、子供に向き合えないってなんなんだ。おかしいだろ。時間が足りない、余裕が足りない、いつも寝る前子供の寝顔を眺めて涙を落とす。
1日が25時間あれば…とか
私が分身できたら…とか
しょうもないことをいつも考えてしまうくらいに、余裕がない。
上の子は小さい頃からなんだか他の子とは違うなぁと感じていて、各方面にかかって、まぁとりあえずゆっくりな成長を見守っていきましょうという現状なのだけど
来春から小学生という局面でまた色々と問題が浮き彫りになりつつあり…私の特性を綺麗に遺伝しているなぁと頭が痛い。
私の特性なので、気持ちはものすごく分かるし、今はなす術がない。
本人が気づくしかないから、私がやいやい言うのも伝わらないし、今はちょこっと物申して見守るしかないかなとは思うのだけど
気がついたら色々と考えてしまう。
頭の中が学研やら公文みたいなことになって両手でかき消す。訓練でどうにかなるような問題じゃない。
下の子は生まれ落ちたその瞬間から穏やかで、いつもニコニコしていて、話す声は天使のようで、こんなにかわいい子がこの世におるんかいな…なんかおかしいぞ…これは裏があるに違いない…
と訝しむ気持ちでここまで来たせいか、なんかよく分からない病気が発覚。
やはりか…!!タダでこんなかわいい子がいる訳がないものな!!と思いつつ、その病気と向き合う覚悟が決まるまではかなり情緒不安定に陥った。
子供の病気が発覚する瞬間って、10年に一度あるかどうかっていう局面だと勝手に思ってるんだけど、そのタイミングに夫の10年に一度あるかどうかの社員旅行がばっちしカブった。
なんで、そのタイミングなん?
子供が10日も高熱を出し、不安の中ネット検索をしまくり、いろんな可能性を考え、いくつかの検査を主治医に申し出て検査をしてもらい、消去法で原因を突き止めて行く日々の中、夫は毎日、旅行先の天気と気温、着て行くべき服を私に聞いてくる。
私ってアレクサなのかな?
すみませんよく分かりません、って言えば良かったな。
検査の結果、病名を突き止めて夫に報告した時の夫の返事は遠く北方の地より
『そっか!良かったな!』
何が良かってん。しばくぞ。
告げられた病名を調べたりもしていない様子。
そりゃあんたは観光地やし、しゃあないけどさ。
はらわたが煮えくりかえると共に湧く諦念。
なんでやねん、しばくぞ、しゃあないか。
渦巻く怒りと諦め。
彼にもう何も期待しないと決めたのに、また期待している自分に嫌気が差す。
何も言うまい。
私は心に誓う。
もうパートナーに感情をぶつける行為はやめたのだ。
『好きなところに行き、好きなように生きな』(サン→ヤックル)
考えるべきはコレからのこと。
どう病気と向き合うか。
どのように生活していくか。
夫が帰宅してから冷静に、今まで分かったことを伝える。(私が検査してほしいことを必死に調べたことなどは省く)
そして、決めるべきことは意外と少なく、話すとあっという間に終わってしまう。
私の伝えたいことはそんなことじゃないのに。
私は黙る。
あの苦しみ、あせり、驚き、悲しみ、何も伝わらない。何ひとつ伝えられない。
感情抜きには。
箇条書きで業務連絡を伝えるのは、ひどく苦しみが伴う。
氷山の一角。
こうして私はまた1人殻に閉じこもった。
その時、ママ友からの連絡が私を救ってくれた。
彼女は4児の母で肢体不自由児を持った子も抱えているが、趣味の大型バイクに乗り、雑貨屋さんを開き、PTA会長をこなし、さらに役員をいくつもこなし、アーティストでもあり、更に別に仕事もしている。はるかにはるかに私よりも苦労をして生きてきた尊敬する先輩ママだ。
そして何より私のビジネスパートナーでもある。
初夏から彼女のお店で働かせてもらっているのだ。お店をお休みせざるを得ない状況を伝えたところ…
1人で働くより2人で働く方が楽しい
お店のことは薄氷ちゃんの行ける時に店開ければいいからホンマに好きなようにしていいから
家族が優先やから。
私もなんぼ苦しいことあったか。
だから不安な気持ちよく分かるよ。
1人じゃないよ。
頑張らないとあかん、やなくて、ほなやろか!って気持ちになるまでのんびりしたらいいやん。
薄氷ちゃんは頑張ってるよホンマに!
でも無理はしたらあかんで。
と声をかけてくれた。
独りだ独りだと苦しみガチガチになった私の心が溶けた気がした。
LINEを読んで涙が溢れて止まらなかった。
私のこの気持ちを分かってくれる人がいた、という事実だけで、私は救われた。
怖かった、寂しかった。不安なこの気持ちを分かってもらいたい。
それが私の心だった。
子供のことで悩み、調べ、苦しむのは母親だけなのだろうか。なぜ私だけが苦しんでいるのだろうか。
夫の気持ちはよく分からない。
分かろうとも思わない。
でも、彼は特に心配するようなことではないと踏んだのかもしれない。
パートナーに任せておけば子供は大丈夫なんだと安心して任せてくれているのかもしれない。
むしろ好きなようにやらせてもらえて、私は幸せなのかもしれない。
少しずつ気持ちが変わっていった。
子育てをする中、もちろん子育て自体忙しいのだけど、向き合って考えるべきことがその都度その都度変わるので、気持ちも忙しい。
あれやこれやと考えることが多すぎる。
でも結局、のほほんと構えてる夫が1番の正解なような気もしてくる。
つまりは、役割分担なのかもしれない。
私が考える役。
夫がドーンと構える役。
それでいいのかもしれない。
ってことは、今後も私はせっせと考えなければならないのだけど。
考えなくてもいいことは考えるな、とよく目にするけども。
やっぱり色々考えてしまう。
どうしたらいいかな。
どうしたらいいかな。
そればっかり考えてる。
考えなくてもいいことだ、なんて割り切れない。
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