窓の外の観覧車
春休みは、コロナのリスクを下げるため、2児を家庭保育しながら撮影をこなしていたため、体も心もボロボロに・・・
やっと春休みが明けたと思ったら次男が厄介な風邪を保育所でもらってきて
現在39度の熱。
本当に息もつく暇もなく、noteも開けていなかったのだけど。
今日、小児科の窓から
何度も次男に催促されて観覧車を見せた。
結局1時間も待合室で順番を待つ間、ぐずる次男の仰せのまま、何度観覧車を眺めただろう。
ふと母を想う。
母は見知らぬ土地で誰も頼れぬまま、たった一人で年子の私と兄を育てた。
あまりの辛さに、電車に3人で飛び込もうかと思ったことがある、とある日漏らした。
そんな母の孤独を想い、胸が締め付けられた。
おそらく父は週末以外はほとんど家に帰らなかったのだろう。
たった一人で年子を24時間見ることの苦しさが、今ならわかる。
薄曇りの空に、ゆっくりと回る黄色い観覧車を眺めながら
私は小児科で2人の子供を連れ、ぐずる子供に困った顔をする母に話しかけていた。
『待つの、しんどいよね。歳近いですね、何歳ですか?』
笑顔で尋ねると、母は救われたような顔をしてはにかむ笑顔を見せる。
こうやって、一人で孤育てをする母に老婆心で話しかけたい。
少しでも、母の辛さを分けてもらいたい。
母とは子育ての話は何もできないまま、死別してしまった。
そんなことを思いながら、泣く子をあやす。
でも、とふと気づいた。
皆、誰もが会いたかった誰かなのだ。
皆、大切な誰かを失い生きていく。
今横にいるその人が、いずれ誰かの会いたい人なのだ。
私が母を想うように
いつか誰かがその人に会いたいと焦がれるのだ。
そう考えたら
今生きることを一生懸命に、と歯を食いしばる。
周りの人を大切に、家族を大切に、今この時を大切に。と。