罪の声と私の生い立ち
小栗旬さんと星野源さんのW主演、監督は『いま、会いにゆきます』『麒麟の翼』などの土井裕泰さんで映画化された塩田武士のサスペンス小説『罪の声』(つみのこえ)を鑑賞しました。
過去と今をつなぎ、人生と温かく向き合う緻密なシナリオ、様々な人々の息づかい、人を丹念に描く演出、出演者の背伸びのない演技のアンサンブルは、その期待に違わない完成度で、充実した2時間20分でした。
いつも小さくて弱いものが犠牲になる。そんな風なセリフを聞いて私は胸が苦しくなった。
自分の生い立ちに映画の中の犠牲になった子供達を投影してしまったからでしょう。
世界はメディア先導により、自分の正義を振りかざした人間の争いが巻き起こり、その結果として何の罪もない人間が犠牲となる。
世論の荒波に一人で立ち向かったと自負している私は生き残っているが、きっと亡くなった人間もいるでしょう。
結論ではありますが、集団形成心理のお調子者が私たちを支配している。
今日もどこかで事件が起きている。
被害者はまさか自分が被害に遭うなんて思ってもみない。
家族も犯罪に巻き込まれるなんて予測もしない。
突然、犯罪被害者になり憎しみや悲しみが交差する中で、精神を保つことがいかに困難か。
ニュースに出るような事件はみんな他人事だと考える、それが普通だと思う。
この映画を観た一部の方に「つまらなかった」というコメントを観ました。
きっと非日常過ぎて難しいかもしれないと思いました。
私は自らの辛い境遇を糧にして気づきを得て幸せを掴みとるか、または、さらに闇を強化させて周りを巻き込んで不幸のブラックホールに道連れにするか、二極化してる気がする。
私は死ぬまでこの普通じゃない自らの辛い境遇を糧にして気づきを得て幸せを掴みとって生き残ってやる。
Fossil (化石)になんてなってたまるか。
とにかく、自分自身と対峙させてくれるような作品が好きです。