ガジェットにはないもの
コロナ禍真っ最中の、あるレッスンでの出来事。
スタジオへ向かう途中で、携帯電話もiPodもまるまる忘れたことに気がつきました。
レッスンに向かうのに、こんなことは初めてです。
バッグの中には除菌スプレーやフェイスシールドなどの感染予防対策グッズはバッチリ入っているのに、肝心の音源がありません。
やってしまった…と思ったけれど、
『そうだ、久しぶりにkakikoをやろう』
電車の中でひとしきり考えてそう決めました。
kahikoとはIpuheke(ハワイの神聖な打楽器)のビートに合わせて歌い踊る、私も生徒も発声を伴う古典フラのため、コロナ禍で一時休止していたもの。
でも、マスクをしてフェイスシールドをして、スタジオのドアはいつものように開け放ち、
いつも以上に離れて私だけが歌い、十分注意してやり方を変えればいいのだというところに辿り着き、
生徒に事情を伝え、久しぶりに『Liliʻu Ē』を歌い、Kāheaもすべて私がカバーするやり方で皆んなに踊ってもらいました。
マスクしてフェイスシールドして歌いっぱなしでもちろん苦しいのですが、
いつもとは違う生徒たちの表情、その空気。
誰も声は発せられないけれど、明らかにみんな高揚していました。
奇しくもそのレッスンの前日、ハワイ時間ではハワイ王朝最後の女王Liliʻuokalani の誕生日。もしかしたら私は女王に導かれてこの一年半のkahikoの封印を解くことになったのかもしれません。
とてもいいレッスンでした。
いいレッスンをした、という意味ではなくて。
文明の利器は素晴らしいけれど、
血の通った生の音、生の声には、それよりたくさんの情報が宿っていて、
今はどうしてもオンラインに頼らざるを得ないことが多いから、
余計にみんながそこにいて、私のHoʻopaʻa で踊ってくれたことに、心の芯から震えたのです。
文字を持たなかった古代ハワイアンの人々が残した歌と踊りが、私に忘れ物を届けてくれました。
ガジェットには入っていない、
一番大事なものを。