「愛がなんだ」から観るマイナスを許容する力
「愛がなんだ」(公式サイト)
という映画を知っているでしょうか?
リンクをはってるので良ければサイトにどうぞです。あらすじはこう。
猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。大好きだし,超幸せ。マモちゃんも優しいし。だけど。マモちゃんはテルコのことが好きじゃない・・・。
と、なんだか一見馬鹿な女の話に見えるんですが、これがほんとにバカなんです。マモちゃんしか見えておりません。そしてマモちゃんも自分のことしか考えてないです。
でも。なんでテルコは馬鹿に見えるんだろう?不思議に思いませんか?
好きな人に必死なだけ。好きな人がこっちを向いてくれないだけ。
それでもただ好きなだけ。それだけなのに?
テルコはそれで何かを失ってもいいと思ってるのに。
私はこう思うんです。テルコが馬鹿に見えるのはきっと、それはきっと普段私たちが綺麗な話しかしないからなんだって。ちゃんとお付き合いをし話し合い、歩み寄り、恋人と肌を重ねる。
コイバナをすれば悩み事という惚気話をし、SNSで愚痴を言うときも自分の非がある言い方はしない。そういうのがちゃんとした恋愛だって思ってる。
だけどきっと、一度はみんなテルコだったと思うんです。馬鹿な恋して「それでもいいんだって」諦められなくて。隠してるけど相手が既婚者だったり(もちろんだめなことですよ)、いつまでも元恋人のSNSをのぞいてみてたり。実は自分にしかしらないテルコがいる。
だからね、自分の中のテルコが馬鹿だなって、馬鹿だったなって思うんじゃないかな。
そう思うと、この物語は誰にも言えない自分に寄りそってくれる自分だと思うのです。自分のマイナスを自分で許容出来る場所。
テルコは私に教えてくれました。
愛ってなんだ?恋ってなんだよ?執着と違うの?固執だとして何が悪いの?
私は私の中のテルコに答えたい。感情に名前なんてないんだよって。いつまでだってマモちゃん追いかけてていいんだよ。だってテルコ幸せなんでしょ?マモちゃんに迷惑かけてるわけでもないんだし。
ありがとうテルコ。私にも昔テルコがいたよ。私のマイナスを許容させてくれてありがとう。
最後に今テルコなあなたへ。
テルコに会いに行って観てください。きっと今の自分を許容できますよ。。。