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私らしく在る"喜び"のためのおむすび

こんにちは。みほむすびのみほっちです。

都内のシェアキッチンをお借りして、月に4回ほど、おむすびカフェを開いています。

友人に勧められたことをきっかけに、流れに身を任せて始めたおむすびカフェでしたが、今の私にとって重要な活動になっています。

それがどのように大切なのかを今回は綴っていきたいと思います。

自分の喜びのためにやっていたら、人にも喜んでもらえた

今の私にとって、自分がやりたくてやっていて、一見大変そうなのに時間や労力を費やしても苦とは思わないこと。それがおむすびやお料理を作ることだと気がつきました。

これは人生の一つの通過点かもしれませんが、今の私にとっては大切なことです。

今はおむすびやお料理を作ることが楽しくてたまりません。メニューは何にしようかとか、自分やお客様がもっとお店で快適に過ごせるにはどうしたらいいかなど、お店のことを考えるのも楽しいと感じます。

そして、夢中でおむすびやお料理を作る。「できたー!」と思ってお客様に提供する。その時点でもう、満足で幸せなんです。そこでいったんは完結します。

さらに、食べてくれたお客様が「おいしい」と言ってくれます。人に喜んでもらうことで、うれしさが2倍以上に膨らみます。これは不意にゲットしたボーナスポイントみたいなものです。

こんな経験は私にとって初めてのことでした。


家族が育てたおいしいお米や
季節のお野菜をメインに、
基本的には私の"おいしい"を
ご紹介したいと思っています


"人のため"をやってきた人生

私は長いこと、"人のため"に人生を生きてきました。おそらく生まれたころからほんの最近まで。

どうやら赤ちゃんの頃の私は、不安を抱えている母のために安産で生まれることを選んだようです。(赤ちゃんの頃の記憶なんてある? と不思議に思われるかもしれませんが、これは胎内記憶の学びを通して最近分かったことです)そして、幼少の頃のことを母に聞いたところ、「自分で何でもやる子だったので手がかからなかった」と言われました。仕事と子育てや家事で忙しくしていた母のためだったと思います。(子どもの行動の裏には"大好きなお母さんのため"が必ずあります)自分が母の忙しさを察して、母のために"いい子"にしていたことなど、成長した私はすっかり忘れていました。


人のために生きる癖="空洞"になっていた自分

母の忙しさを察して行動していたことでその癖がつき、大きくなってからも常に他人の顔色をうかがって生きてきたのだと思います。自分のことは後回し。人を気遣うことが大切であり、優しさだと信じ込んでいました。

するとどうでしょうか。自分の中にいた"私の本当の気持ち"が悲鳴を上げ始めます。「無視されて悲しい」と。自分の気持ちを無視して、置き去りにしていたのです。20代の頃は自分を責めることが顕著になり、うつ病を経験しました。30代の頃は子育てや仕事、家庭のゴタゴタも自分のせいだと思い込み、多くを勝手に背負い込んでいました。相当に手の焼けるお母さんでした。

10代~20代の頃は、自分の外側に答えがあると信じ、世界各地に旅に出かけたり、資格もたくさん取ったりもしました。自己肯定感が低く、頑張ればうまくいくと思い、30代の頃はとにかく人に認められたくて仕事も頑張りました。それでも満足がいかず、自分を追い込んでいきます。子どもが生まれてからは、「ダメなお母さんだと思われたくない」という無意識が働いていました。不安から習い事をたくさんさせたりもしていました。「あなたのためよ」と自分の価値観を押し付け、コントロールしようとする子育てでした。

つまり、自分の満足は常に人からの評価に左右されていたのです。自分の中が空洞になり、自分自身が分からなくなってしまっていました。そして、さすがに苦しくなり、自分の内側を探求する学びへと向かいます。

それからは、"お母さんが自分らしくハッピーでいたら、家族もハッピーでいられる"との誰かの言葉に沿い、自分らしく生きることに向かっているつもりでいましたが、それも蓋を開けてみたら、家族のためでした。

「自分が整えば、家族も整う」という思考のもと、家族が幸せになるために、自分も幸せにならなくてはと思っていたのです。

自分の内なる喜びから行動していたわけではありませんでした。


内なる喜びに向かう旅

自分の内側を探求する学びを進めると、子どもの頃に抱えていた未消化の感情がどんどん出てきます。そこに寄り添ってあげることをひたすら繰り返しました。

未消化の感情とは、幼い頃に蓋をして、感じないように、見ないようにしてきたものです。お父さんやお母さんとの関係にまつわるものが多く、あとは学校などで言われてきたことや当時の社会通念や家庭内での常識などもあります。それが刷り込みや思い込みとなり、その後の行動や思考の癖につながっていきます。

そして、癒えていなかった本当の自分の気持ちに気がついてあげると、どうでしょうか。本当の喜び、本当の自分らしさにだんだんと向かっていけるようになりました。家族や子どもとの関係もよくなっていきました。


幼い頃から見てきた風景。
子どもの頃に取り込んできた
さまざまな感情が、現在の気づきや
成長へと繋がっていました


自分の喜びを味わうためのおむすび

今までの仕事では、"人の役に立つために"の意識が強かったと思います。それが行き過ぎると、自分がしたことの結果を相手にゆだねることができません。「あなたのためにしてるのに」と相手を責めたり、自分が被害者になることで、うまくいかなかったことを人や何かのせいにしたり、「自分がいけなかった」と自分を過度に責めたりします。

今では、お米をとぎながらお米と対話する時間や、おむすびを結んでいる時が幸せです。自分自身が喜んでいるのが分かります。なぜだか分からないけど、楽しい気持ちや充実感が湧いてくるのです。

お店に来てくださる方においしいものを食べてほしい気持ちはもちろんありますが、どちらかといえば、自分がおいしいと思うものを誰かにもシェアして、「おいしいよね!」と一緒に笑顔になれたらさらにうれしいという感覚です。自分が好きなこと、好きなものがまず先にあって、その"好き"を味わっていたら、勝手にあふれてきます。

自分にとっておむすびを結ぶことは、自分の喜びを確認すること。つまり、喜びで生きる感覚を確かめることのような気がしています。


最後までお読みいただきありがとうございました。

よかったら、食べた人が女神になる、女神のおむすびを食べに来てくださいね。お待ちしています!

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