傷つけること
感傷的な夜にかきとめたメモ。
傷つけることはこわい、というのが幼い頃からの感覚だ。物理の授業で、「モノは別のモノを押すと同時に押されています」と習ってなるほどと思った。傷つけるべく殴った者には、殴られたものと同じだけの痛みが伴う。その感覚だけは昔から研ぎ澄まされていたと思う。
言葉で人を傷つけたとき、「あ、いま傷つけちゃったな絶対」という気持ちで胸が締め付けられるような感覚に襲われる。幼い頃に言ってしまった「ママ、嫌い」も、中学校のときに言ってしまった「〇〇ってそんなのもわかんないの?」も、そして今夜、ついやってしまった一連のやりとりも。傷つけることを目的に傷つけるために言葉を使ってしまった自分がどんどん嫌になる。
だから、極力傷つけないよう、地雷を踏まないよう、そっとそっと歩き、静かに人に触れる。もし人から離れたくなったときには、悟られることのないようそろりそろりと後ろ歩きだ。わざわざ傷つけたり傷ついたり、それで古傷までえぐるのはもうごめん。そう思っていたのだが、そうもいかなくなってしまった。
恋人、親友、恩人、近づきすぎた人とはうまく距離をおけない。ゼロかヒャク。近づきすぎた者とは、急激に距離をとることもできない。後ろ歩きしているつもりでもまだまだ磁界の中にいるのでひょんなことからまたN極はS極めがけてピッタリくっつこうとする。ひとは磁石なのかもしれない。
離れることには勇気が必要だ。傷つけることには覚悟が必要だ。傷つけても、それでもその先に得たいものがあるから、泣きながら人を殴るのだ。