得手なことも苦手なことも、原理原則は同じ
得手なことと苦手なこと、誰にでもあると思います。
得手かつ好きだと、それをやるのが楽しいからどんどん勝手に研究したり失敗も恐れず実験したりトライアンドエラー自体が楽しいから経験値がどんどん上がっていきます。
苦手なことで嫌いなことは、見るのも触るのも興味ないわけで、だから自動的に振れる機会が減って経験値があがらない。
だから好きでたくさんしている人が自然に身につけた技術、知識、ノウハウが入ってこない。
ただ、ものごとって原理原則がすべて同じだと最近つくづく思うので、好きなことをとことんやって悟ってしまった原理原則は、実は苦手なことにも通用すると思うのです。
原理原則っていうのは、人やものごとが動く仕組みみたいなことをここではさしています。
たとえばビジネスで言うところの購買行動みたいなものは、たぶんスポーツでの心理戦なんかと実は同じなはずなのです。
あるいは、なにかに熟達していく行程も、語学であろうとスポーツであろうと心理学であろうと事業であろうと、知識を入れるだけでは熟達できないわけで。頭と心と身体で理解して初めて体得できたと言えるその構造はどんな分野のことでも同じ。
一つに熟達すれば、普遍的に応用が利くはずなのです。
もちろん、生まれ持った特質とか適性があるので、得手なことと同レベルに必ずしもどれもこれもなれるかというとそれはないのですが。
でも、一流のスポーツ選手がビジネスにもたけていたりするのは、たくさんの才能を持っているから、頭がいいから、って言われたりするのですが、原理原則をスポーツで究めたからなんじゃないかな、って思うのです。
たとえば私はダンスが好きだし得手なので、上手くなるために失敗しながらもトライしていくことがなにも苦ではありません。
でもいくら原理原則が同じだからといって書道も同じように失敗しながらトライを楽しめるかというと、たぶん違う。やってみたことないからわからないけど。
でも書道はピンとこなくても、これまでの人生でやってみようかなと気になったけれどあきらめたことや、やらざるを得ない状況に追いやられたことなんかは、ダンスと同じ原理原則がどうあてはまるかさえ見極められれば、そこそこはできるようになるんじゃないかと思うのです。
そういうときに、邪魔をしてくるのがプライドです。
なぜか、好きなことに対してはオープンに自分の下手さをさらしてのびしろしかない!という状態であっても楽しめるのに。
そこまで好きじゃないことって、上手くできないことをバレたくないとか、普通だれもが簡単にやってそうなことなのに自分だけできないのは恥ずかしいとか、そんな気持ちが働いて、失敗したくない、という気持ちが強くなってしまう。
でも、ここも原理原則ですが、失敗はするのです。超好きなことだって失敗するんだから、そこまで熱意ないことだったら得手でもないんだから失敗して当然。
その自分を受け入れて、小さな子が何度も何度も砂場で山を作るように、無心でやりつづける。
たぶんそのマインドにさえなれたら、苦手なことも得手なことのようにいつのまにかできるようになっているんだと思うのです。
私も苦手なあれを、プライドすてて、失敗しに行こうと思います。