#1 ~これからの地方議員を考える~ 市長派・反市長派というレッテルからは自由に活動しよう
私は、政党無所属で活動していますが、流山市議会では最大会派(28人中8名)の流政会に所属しています。
時折、流政会も市長派と批判されたり、政治に身を置いていると「あの人は、〇〇派だから」と批判されることがございますが、地方議員に対する表現として、かなり短絡的ですので、そんなことに捕らわれず、自分が信じる道で地道に活動しよう!というのがこのnoteの主旨です。
二元代表制とは
二元代表制は、地方自治体の行政機構において、議会と市長の両方が独立して存在し、それぞれが選挙で選ばれる制度です。この制度では、市長と議会が独立した権限を持ち、互いにチェックアンドバランスを働かせることが基本です。私なりの二元代表制の活かし方について、書いた記事があるのでご参照ください。以下の「原理原則の二元代表制を使い倒す「こちら」」の章をご覧ください。
何をもって市長派というのか?が不明
市長派とは、一般的に市長の政策や方針に賛同し、支持する議員や政治グループのことを指すようですが、私たちは少なくとも市長政策をそのまま推進することはございません。
しかし所属議員が多い会派であることから議決には比較的大きな影響があるため流山市全体、また中長期視点をふまえ慎重に判断しています。議会の意志としては半数以上(14票以上)の議決で決定されるため影響が大きいのです。
私たち議員は市長が提案する予算案や条例案に対する議決権を持っていますが、その事業範囲たるや、ごみ行政から、子育て、高齢者福祉、消防、まちづくり、市民協働など、多岐にわたります。否決する=事業の見直しをさせるということですから、事業を検討するために投じた行政職員の稼働コストが無駄になったり、修正案を作成するまで他の事業のリソースが取られるという副作用もあります。
私たちの判断が大きく影響する可能性があるからこそ慎重に審議しているのです。
しかし市長派、反市長派という考え方は、政治的な対立を政争化し、感情論を煽り、多岐にわたる事業があることを埋没化させ、きめ細やかな政策が検討されにくい雰囲気を醸成します。
仮に市長が提案する議案の多くが反対されると、流山市政は動かなくなってきます。前安芸高田市の市長と議会の対立については全国をにぎわすニュースとなりましたが、あのような状態にならないようにしていくことが重要です(前安芸高田市長や議会の動きは市民が選択された動きだと思いますので、あれはあれで尊く、批判しているわけではないことをご理解ください。地方自治という性質を考えれば外部の人間が批判できるものではございません)
否決となれば相当な行政コストが発生しますから、私たちはそれをできるだけ避けるために、中長期的に流山市全体としてよりよい方向になるよう、日常的に地域の課題から政策を練り上げ、早い段階で提案をしていくことを心がけています。執行権は市長にありますから、結果的にそれが市長政策になることもございます。
市長派、反市長派については、何をもって主張されるのか分かりませんが、少なくとも流山市の二元代表制はもっとダイナミックに動いています。
政争対立にうんざりしている方も増えています。
まちづくりで実績を上げている公民連携事業をけん引している岡崎さんもこのような指摘をされています。ご自身の問題意識を現実策としての提案行動に変えて、市政を動かしていきましょう。
市長派・反市長派というパワーワード(強い印象を持たせてしまう言葉)に惑わされず距離を置いて活動することをお勧めします。
「反」という主張だけで多数派になれるのか
こう書くと「批判」が悪いように囚われますが、健全な批判は議論を活性化する上で歓迎されるべきものです。健全な批判とは、問題である論点を明確にし、流山市政にメリットがある改善案の提案が付随しています。論点の発信を伴い、継続的に市民から意見を聴取し、より多くのご意見をいただくことで、より良い提案にしたり、妥当性の担保を行います。
それがないものは批判というより糾弾です。糾弾は目を引くので一定の関心を喚起しますが、改善提案の精度まで持っていくにはそれなりの調査と労力が必要です。それを乗り越えなければ、政策にはなりません。賛同する政策軸が不明瞭なままでは、多数派にはなれません。
岩手県紫波町のまちづくりを公民連携で実績をあげてこられた(株)オガール代表 岡崎正信氏「こちら」は以下のように指摘されています。
岡崎氏は流山市議会の議会研修会でご講演いただきました「こちら」。
私も市民の方から「批判の論点が分からない」という声をいただくことがあります。市と議会は車の両輪ですから健全な切磋琢磨に貢献すべきです。
岡崎氏の手がけた岩手県紫波町のオガールプロジェクトの詳細はこちら