ごはんの時間
もともと料理は好きだった。
特別なものは作れないが、コトコト煮物を煮たり、小豆を煮たり、ドレッシングを作ったり、塩麹を作ったり、たまにお味噌を作ったり。
普段のごはん作りに、少し手作りを足した創作の時間が持てることが好きだった。
冬には体を温める食べ物、
夏には体の熱をとってくれる食べ物、
旬の野菜の力、
そんなことを学ぶすのも好きだった。
ふたごがうまれ、
4人の子育てがはじまったころ、
優雅なひと時はなくなった。
「とにかくこどもたちのお腹を膨らまさなければ!」
と義務のように感じるようになった。
大量の下ごしらえ!大量の炒め物!と、重労働へと変わったのだ。
そもそも要領も悪いのが拍車をかけてとっても辛い時間となってしまった。
1年半前だろうか。
くたくたになって用意した晩ごはん。
毎回「これいやだ、カレーがよかった!」と言われるようになった。
ふたごの息子たちのイヤイヤ期がはじまった。
手作り味噌の粒が粗くなってしまったことがあり、次女に「おみそしるきらい…」と言われるようになった。
1日の終わり、残り少ない体力と気力を絞る作業。ごはんを歓迎してくれたのは長女だけだった。
ある日のこと。
「これいや、ちがうのがたべたい。おそとのごはんがいい!」
いつも通りの光景なのだが、
ついにプツン…とやる気の糸が切れてしまった。
「たべなくていいよ…」
と力なく口にしたが最後、
こどもたちが大荒れに荒れた。
自分の気持ちも"無"になってしまっている。
ごはんもいやだと訴えている。
地獄のような時間にしてしまった。
「もうごはんつくれない…」
ハッキリとそう思ってしまった。
そんな気持ちに大きな罪悪感を覚えた。
わたしは両親の作るごはんが大好きだった。
1日の中で一番ほっとする時間だ。
家族が集まってあたたかいごはんを食べる。
「このスープには何が入っているでしょうか?」と母がクイズを出す。
調味料も全部当てられたら盛り上がる。
スーパーで上手に買い物をしていた母の話を聞くのも好きだった。
父のお肉の下ごしらえも丁寧で見ているだけで楽しかった。たくさん教えてくれた。
お腹いっぱいになってピアノに向かうとよく曲ができた。
しかしわがやにとって、
ごはんは「イヤイヤ期と欲求不満を爆発させる時間」になってしまったのだ。
こんな悲しいことはない。
みんな幸せな気持ちになれないのだ。
ごはんをサボることはできないから、
毎日夕方が近づくと憂鬱になった。
そしてついに作れなくなった。
時間をかけてさきがきにしていたゴボウを眺めていたら、
「このゴボウも歓迎されないのか」
と悲しくなってしまった。
そんな様子を見て案じた夫がごはんを作ってくれるようになった。
夫はイヤイヤ!と言われても「はいはい」と受け流すことができた。救われた。
わたしは食事の支度の時間、
こどもたちとたっぷり遊んですごした。
しばらくすると、夫は短時間で美味しいごはんを用意できるスキルを身につけた。
料理にハマり、レシピを増やし、鶏肉料理のバリエーションを増やしていった。
おいしいのだ。
感謝の気持ちとともに、
「あれ…わたしいつ晩ごはんの台所に帰るんだろう。夫の方が手際がいい。わたしが作るのはお弁当と簡単な朝ごはんだけでいいのだろうか。そもそもわたしのごはんを待っている長女と夫がいるのに。」
と焦るようになった。
しばらくして、幼稚園生だった次女が小学生になった。
その頃から料理の手伝いを積極的にしたがった。
イマイチ尻込みする彼女の姿を見ていて、
習い事より、なにかのスペシャリストとしてまずは家族に認められることの方が良さそう!
と思っていた頃だ。
料理で自信を持たせるようにしよう!
そうだ!こどもなのにごはんが作れたら兄弟から尊敬されるに違いない!
よほど急いでない日以外は、
わたしか夫と台所に立つようになった。
そのうちに上手に包丁を使い、丁寧にみじん切り、千切り、お出汁をとることも覚えた。
カレーも作れるようになり、お味噌汁や炒め物が作れるようになった。
お肉にはばい菌がいるのでよく焼くこと。
専用のまな板を使うこと。
使った包丁やまな板を素早く洗うことも覚えた。
わたしが野菜をたくさん切っていたらバットをすかさず出してくれる。先も読める。
配膳も完璧でテキパキ動く。
わたしが店を開いたら働いてほしいくらいに頭も体も回る。
「ちょっと、君すごすぎる!」と褒める時間になった。
わたしより手際良く動くのだ。イキイキと。ごきげんに。
これには驚いた。
「ママ、大きくなったらお料理するひとになろうかなって思ってるんだ!ママがすごくおばあさんになった時、わたしがごはんをつくってたべさせてあげるからね!」
と力強く、たくましい姿でそう言った。
自信と、大人になった頃の自分と家族を想像していた。
次女が嫌いな味噌と
お友達の畑でとれた大根を使って、
"豚肉と大根の味噌炒め"を作った。
「調味料は、味噌とみりん、お酒とすこーしお醤油。」
次女は味噌を見て少し戸惑っている。
えいっ!と味見をさせてみたら、
「うわあ!ママ、おみそってこんなにおいしかったの!天才!ママは天才!」
と大げさに喜んだ。
涙が出そうだった。
次女がイヤイヤ!と投げて、壁一面に張り付いた味噌汁と具のワカメを思い出した。
いつまでも泣いていた次女と、冷え切ったごはんを思い出した。
こんな日が来るなんてなぁ…。
次女がはりきって家族に声をかける。
「みんなー!ごはんですよー!」
自分で作ったごはんだもんね。
配膳ももちろん手際良く動く。
「すごい!早いのにていねい!」
と声をかける。
そんな勢いのある次女の姿に、
兄弟も動きはじめる。
みんなの士気が高まっていく。
はやくたべたい!と誰かが言う。
「いただきます!」
と挨拶をするとおかずがどんどんなくなる。
おいしい!と聞こえる。
次女がうれしそうにしている。
ごはんを作る時間、
次女が料理を好きになってくれなかったら、
晩ごはんが「地獄」のままでいたかもしれない。
次女のおかげで晩ごはんが幸せになった。
その時がくるまで夫が毎日をつないでくれた。
みんなそろって食べるごはんは、
どんなレストランよりもおいしい。
そして、その時間はいつまでも続かない。
そう思うと、あと何回いっしょにごはんを食べられるかな。と思った。
こんなにしんどくなければ、
今日ほど嬉しいごはんは食べられなかった。
なんとなくいつも面倒なままだったかもしれない。
でも今はちがう。
全然ちがうのだ。
「明日はなにをつくろうかな!」
と楽しみにしている自分に気がついた。
なんだかじわっと涙が溢れてきた。
長い長いトンネルをひとつ抜けた。
そんな夜だった。
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