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生まれた場所


石川県の珠洲市で生まれた。
石川県の最北にある日本海に面した場所。
能登半島という場所だ。

母の家があったため、夏休みはよくそこで過ごした。
夕日が綺麗だった。穏やかで波音だけが聞こえていた。人も車も近所の人しか通らない、防波堤に座り、歌を口遊んだりしていた。

退屈だった。どこにいても退屈だったから海を見ながら歌を歌った。
大人になってからは煙草も吸った。携帯用の灰皿はあっという間に蓋が閉まらなくなった。コンビニもスーパーもない。スマホもない。ウォークマンと少し傷のついた文庫本は小銭だけの財布は持ってきてるけど出していない。何故ここにいるのかわからなかった。でもその退屈が好きだった。

父よりもよく遊んでくれた16歳年上の従兄弟がいた。ノブオ兄ちゃんと言った。彼は休みの日に京都まで来て夏休みの私と妹を連れて能登まで帰った。うちが自営業みたいな事をしていて父と母は忙しかったからだ。
最後に会った記憶は私が仮免許の時で軽トラで山道を街まで運転させられた時だ。自分の運転が全然信用できなかったからすごく怖かった。ガードレールも無い田舎の山道を転げ落ちると思った。なのに助手席に乗ってくれたノブオ兄ちゃん。無謀すぎる。

会いたいよ。お元気ですか。今私、ノブオ兄ちゃんが死んだ年まで生きてきたよ。

って書いたら私の運転が事故って死んだみたいだけどそれは違う。
その1年後にノブオ兄ちゃんは原因不明の腹痛で死んだのだ。急にお腹が痛くなってあっという間に死んだのだ。奥さんと小さな子供三人を残して。

もう能登には10年くらい行っていない。
もうあの家には誰もいない。
子供達は所帯を持ち、それぞれ別で暮らしている。奥さんの行方は依然わからないままだ。私は今も奥さんがノブオ兄ちゃんを殺したと思っている。
だけど夫婦の事は夫婦でしかわからない。
大人になった子供達も本当の事は知らないかもしれない。
私が本当の事を知る権利もない。

生きていたら64歳。ノブオ兄ちゃんはノブオ爺ちゃんだ。
私もすぐにお婆ちゃんだよ。そのうち会えるね。会えたらまた一緒に遊んでね。

お婆ちゃんになったら一人であの海を見に行こう。そして堤防に座り今はやめてしまった煙草を吸うのだ。海を眺めながら。