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卯月に鳴く

登場人物

場所 列車の中

《1》

 女が座っている。格好は白いブラウスに黒のカーディガン、赤いスカート。靴は地味なペタンコ靴。髪を後ろで縛っているのが若干の生活感を醸し出している。

女 桜は嫌いです。

 電車の音。

女 今年の開花は3月27日火曜日、晴れ。
会社の花見。隣の群れとの距離数メートル。喧騒。醜態。あちこちに散らかったゴミ屑。酒飲みの吐いた甘い息と吐物の匂い。飛び交う小さな虫達。レジャーシートの下の小さい石の粒粒が皮膚に食い込む。浮かれた人の波。その波に呑まれて、渦に溺れてそのまま溶けていく。いや、溶けない。水と共に歯磨き粉が排水口に吸い込まれるような、そんな、私は、汚い。

 女、スカートを摘んで離す。ヒラリと赤いスカートが揺れる。

女 風が吹いた。花びらが舞う。 去年観た映画を思い出す。秒速五センチメートル。どこかで別れの歌が聞こえる。

 薄暗い中、小さな声の歌が聞こえる。

男 空を飛ぶ鳥のように 自由に生きる 今日の日はさようなら また会う日まで

 電車の音。少し離れた場所に光が当たり、男が照らされる。
 グレーのスウェットのパーカー。古びたジーンズ。汚れた黒いスニーカー。背が高く、痩せている。

男 久しぶり。
女 久しぶり。
男 肥えた?
女 え?
男 肥えた?
女 ええ?
男 太ったよね。
女 どゆこと?
男 え。
女 久しぶりに会ったのに二言目が太ったってどういうことよ。
男 どういうって、見たままについて疑問を投げかけてみました。
女 見たらわかるでしょ。なんで疑問文なのさ。
男 疑問文。
女 太った?って聞いたでしょ。
男 言い訳したいかな、とか。
女 言い訳。
男 なぜ太ったのか。ストレス?リバウンド?単なる食べ過ぎ?
女 歳のせい。
男 うわ。
女 歳のせいです。

 すれ違う電車の音。

女 …自分のせいです。
男 言い訳しないんだ。
女 歳もストレスもリバウンドも食べ過ぎも自分のせいでしょ。
男 俺も太ってみたかったな。
女 いいよね。また縦に伸びたよね。
男 痩せたいんならジムに行ったらいいのに。
女 お金も根性もない。
男 出た。痩せない奴の王道な言い訳。

 踏切の音。男、左側を眺めている。

男 いつのまにか春だねえ。
女 うん。
男 気がついたら春になってたわ。
女 またどっか行ってたの?
男 行ってない。
女 最近何してた?
男 そうねえ。SNSとか?
女 SNS?
男 twitter、とか?
女 えー?すごいね。
男 何がすごいの。
女 あれでしょ、大阪でデートなう♡とか言ってるアレでしょ。
男 そんな奴見たことねえ。
女 えーいないの?
男 デート中に呟くとかありえないし。
女 お?お?お?
男 いやいやいや。
女 あの子をロックオンちう。なう。
男 今時なう、なんて書かないの。
女 じゃあ何どんな風に呟くの。
男 見たことないのかよ。
女 ないよ。インスタは友達やってるけど。
男 一言日記、みたいなもんだよ。
女 人に日記みせんの。
男 …読んで欲しいし。
女 承認欲求。
男 そりゃそうでしょ。俺なんか特にそこ大事でしょ。
女 まあ、そうだよね。
男 …腹減った、とか眠てえ、とかばっかだと思ってるでしょ。
女 違うの?
男 そういう時もあるけど。
女 あるんじゃん。
男 いやいやそれだけじゃなくて、俺しか見つけられないことを世の中に発信してるの。なかなか希少な事見てるわけだし。
女 「あなたの知らない世界」。
男 他の人も世の中の事や俺の知らない事いっぱい教えてくれるしね。
女 そうなんだ。例えば?
男 漫画のこととか?音楽のこととか?
女 世の中の事って娯楽かい。
男 俺にとって漫画と音楽は娯楽ではない。
女 世の中の事って政治とか経済とかじゃないの。
男 それも含めて。俺が知らない事だよ。宣伝とか、情報とか、ニュースとか、どっかで誰かがツイートしてんだよ。
女 他の人はどうあれあなたは何呟いてんの。
男 え?俺?
女 眠てえとか以外に何呟くの。一言日記ってどんなのよ?
男 言わねえ。
女 アカウント名教えてよ。
男 やだよ。絶対教えねー。
女 ケチ。いいじゃん。
男 いやいやいやもうその話終わり。
女 探してみよ。
男 どうぞ御自由に。匿名だから無理だと思うけど。

 女、スマホを出して探し始める。

女 匿名の世界。
男 ネットの世界では俺、存在できんだよ。
女 そっか。
男 そっちは?
女 うん?
男 忙しい?
女 …忙しい、かな。
男 だよね。
女 あのさ、
男 俺さ、運動も始めたの。
女 運動?(スマホから目を離す)
男 トレーニングっていうの?
女 え、どんな?
男 ジョギングとか。散歩とか。
女 散歩は運動じゃないでしょ。
男 運動だよ。ウォーキングっていうでしょ。
女 じゃあ最初からウォーキングって言ってよ。
男 ウォーキングしたらいいのに。
女 私?
男 お金も根性も必要ない。
女 歩くだけで痩せるか?ってか、あなた痩せる必要ないのになぜウォーキング。
男 夜に散歩してるとさ、色んな家の様子が良くわかるんだよ。それが好きでさ。
女 覗きじゃん。犯罪。
男 覗いてるんじゃないよ。自然と聴こえたりするんだよ。洗い物する皿の音とか。漏れる灯りに吸い寄せられるというか。
女 見えないのをいい事にいけないことしてんじゃないでしょうね。
男 してねえよ。
女 そんな風に育てた覚えはない。
男 だからしてないって。暗いところにいるとさ、光に吸い寄せられるんだよ。
女 夜光虫か。
男 夜光虫は違うでしょ。
女 夜、光にくっついてくる虫でしょ。
男 違うよ。夜光虫ってのは海にいるプランクトンのことだよ。夜に光るから夜光虫って
呼ばれてるの。
女 そうなの?じゃあ明るいところにくっついてくる虫は何ていうの。
男 何ていうのっていうか…一般的な虫の習性でしょ。
女 え?虫ってみんな光に集まるの?
男 えー本気で言ってんの?幾つだよ?
女 うー。

 間。

男 こないだ晩御飯食べてる時、一瞬チカチカってなったでしょ。あれ、俺の仕業だから。
女 あ、そうなんだ。
男 気づかなかった?
女 うん。
男 そうなの?なんだー。わかりやすくやったのになー。ジーパチッ、ジーパチッ。
女 なにそのジーって。
男 電気がついてる音。
女 ジーなんて聞こえる?
男 聞こえるよ。静かになったら気づくような音だよ。
女 一人になった途端に気づく時計の音みたいな?
男 そうそれ。
女 静寂の音。
男 停電と勘違いしないような確実なリズムでジーパチッ、ジーパチッて念じたのさ。
女 いつの間に超能力者になったんだ。
男 すげーだろ。今、この場でやって見せようか。
女 今は夜じゃないし効果ないよ。
男 じゃあ夜になったら。
女 …夜までには帰らないと。
男 そっか。
女 うん。

 間。女、スマホを片付ける。

男 いたずらいっぱいやったなー。全然気づいてないみたいだけど。
女 そんなことはないよ。
男 電気は気づいてもらいやすいけど停電とか電池切れとかと勘違いされんだよね。
女 新幹線のおもちゃ。
男 ああ、あれね。お兄ちゃんが小さかった頃に西松屋で買ったやつ。出発の合図がプルルルルって鳴るやつ。
女 夜中に鳴るとビックリしたよ。
男 あれ、まだある?
女 とっくに捨てたよ。小さい子のおもちゃだし。
男 そっか。
女 トイストーリーの喋るやつとかね。
男 私はバズ・ライトイヤー。スペースレンジャーだ。
女 お。
男 無限の彼方へ!
女 よく覚えてるね。
男 これも捨てちゃったんだ。
女 お兄ちゃん次の誕生日で二十歳だよ。
男 そっか。
女 専門学校決まったしね。
男 へえ。何の?
女 なんかパソコンの?プログラム?何だっけ?
男 何で知らないの。
女 難しくてよくわかんないもん。自分で決めたんだしまあいいかなって。
男 あいつは?弟。
女 シンヤは今年中学2。
男 えー。そうなんだ。まだ全然クソガキじゃん。
女 今年高校生だね。
男 俺?
女 でかくなったよね。こないだはまだ小学生だったもん。
男 そっか。何年ぶりだっけ。
女 5年ぶり。
男 そっか。
女 17年たったんだよ。
男 17歳かあ。

 電車の音。

女 17年前、私は息子を殺しました。

 暗転。トンネルに入ったように電車の音だけが聞こえる。


《2》

 電車の音が小さくなっていく。明かりはまだ着かない。

女 無頭蓋症。腹壁破裂。二分脊椎。口唇口蓋裂。見てわかるだけでこれだけの障害。わかった時は妊娠5ヶ月だった。病院からの帰りの電車。受け入れられず涙も出ない。外は桜が咲いていた。

 女にだけがぼんやり見える。顔は見えない。

女 診断が確定してから一週間、決められない選択を迫られていた。妊娠を継続するか否か。継続すると赤ちゃんは75%の確率で死産。生まれても一週間も生きられない。

 女、いつの間にかお腹に手を当てている。


女 誰もが堕すと思ってる。私にその判断を、結論を委ねて誰も口を開かない。堕ろすか堕ろさないかを選ぶというよりは、気持ちの整理をつけて人工死産のGOサインを出すのを待たれている。そんな時間だった。

 《1》と同じように男と女が座っているのが見えてくる。

女 夫。親。親戚。そして私には2歳の長男がいて、私ですら誰かに背中を押して欲しいと無責任な気持ちだった。何もかもが怖かった。ネットでありもしない光を探し続けた。大丈夫。無事に生まれました。こんなに大きくなりました。前例があればこの子だって産むことができる。そんな言葉を延々と探し続けた。

 女、お腹を撫でる。

女 だって昨日 お腹のこの子は初めて私のお腹を蹴ったのだ。今も元気に動いてるのに。

 明るくなる。

男 なんで笑ってるの。
女 私?
男 うん。
女 え、うそ。笑ってる?
男 うん。
女 おかしいな。全然そんなつもりないのに。
男 なんか思い出した?
女 ああ…そうかな。
男 何?
女 さあ。言わない。
男 何でさ。
女 私、小学生の頃にさ、自分の母親に聞いたんだよね。
男 何を?
女 私って美人?って。
男 うわなにそれ、聞くか?普通。
女 多分、恋でもしててさ。気にする年頃だったんだよね。
男 で?
女 残念ながら美人じゃないよって。
男 なんと非情な。
女 十人並みだよって。
男 それは並ってこと?
女 まあ普通ってことかな。
男 じゃあ普通でいいのに。
女 十人並みだけど笑顔でいたら人に好かれるから大丈夫って。いつも笑っていたらきっとみんな好きになってくれるって。
男 それ慰めになるのかなあ。
女 多感な小学生はさ、それを信じてニコニコしてたわけよ。だけどさ、大きくなってからふと気づくわけ。
男 何に?
女 窓に映る顔が気持ちと一致しないことに。ビデオに映った無防備でチグハグな自分の姿を見たときに。ヘラヘラヘラヘラ。
男 ヘラヘラはしてないと思うけど。
女 私、メンヘラって私のことかと思ってたわ。
男 いや、意味が違うでしょ。メンヘラはメンタルヘルスの略ににerをつけたのがメンヘラでしょ。
女 er?
男 スリラーとか。ランナーとか。チャレンジャーとか
女 ゴレンジャーとか。
男 それは違う。
女 メンヘラー。
男 そう。
女 よく知ってるね。若いのに。
男 勉強してますから。
女 SNSで?
男 おうよ。
女 いつのまにか立派になって。
男 ヘラヘラしててもいいじゃん。
女 面子ヘラヘラ?
男 それは気遣いなんでしょ。
女 違うよ。
男 じゃあ何。
女 何だろ…ごまかし?
男 何をごまかすのさ。
女 うーん。
男 悲しいのにヘラヘラすんのは気遣いじゃねーのかよ。

 間。女、突然笑う。

男 なんだよ。
女 …スリラーって。
男 え?
女 スリラーはマイケルジャクソンじゃん。
男 いやいや、ジャンル名だよ。ホラー、スリラー、メステリー、
女 悲しいときはどうするの?
男 え?
女 一人で泣いてるの?
男 俺?
男 泣かないよ。
女 一回も?
男 一回も。

 女を照らしていた光が消える。

男 フランケンシュタインは泣かない。彼は頭も体も継ぎ接ぎで、人々から恐れられ、最後には迫害され、その姿は悲哀に満ちて。ただ一人で立っている。

 すれ違う電車の音が聴こえる。

男 無頭蓋症とは頭の一部あるいは大部分が欠如し、大脳や脳幹の発達が妨げられる為、生命維持が困難になる。

 男、お腹を見る。

男 腹壁破裂はお腹に穴が空いて内臓が飛び出ている症状で二分脊椎は脊椎の形成不全、口唇口蓋裂は口唇裂が唇に裂け目があり、口蓋が閉じないのが口蓋裂。無頭蓋症による併発の可能性が大きい。無頭蓋症以外の症状を持った人達は生きている人も沢山いる。

 男、口元を触る。

男 以前、アメリカの無頭蓋症の赤ちゃんが1歳になったという情報を知り、母は複雑な様子だった。もしかしたら私も。今更考えて仕方ないことなのにネットで検索ばかりしていた。今、あの子はどうしてるんだろう。

 女に光が当たる。

女 フランケンシュタインは怪物じゃないよ。
男 え?
女 怪物を作ったのがフランケンシュタインなんだよ。死体の皮を継ぎ接ぎして自分の理想の人間を作ろうとしたの。
男 そうなんだ。
女 私もそうすれば良かった。
男 冗談やめてくれ。
女 こことか。継ぎ接ぎしたりして。

 女、男の頭に手を伸ばす。男、自分の頭を触る。電車の音。

女 彼が生まれてきた時、頭からもお腹からも管がいっぱい出てた。ボロンボロン。それを綿みたいに詰め込んで、それこそ継ぎ接ぎして縫ったらオギャーって泣いてくれるんじゃないの?

 女、男から手を離す。

女 陣痛、破水、出産した時は一瞬、光と悦びが見えた。でもそこに泣き声は無かった。彼は静かに眠るようにそこにいて、ザラザラした赤黒い皮膚が、乾涸びたイチゴのように、ザラザラした赤黒い皮膚が、静かに眠るようにそこにいて、

 女、いつのまにか立っていたが我に返り、座る

男 イチゴめっちゃ食ってたよね。
女 …葉酸が豊富だって聞いたから。元気な赤ちゃんを産むには葉酸が大事なんだよ。
男 葉酸ねえ。
女 それに悪阻でイチゴしか食べれなかったし。
男 食ってめっちゃ吐いてたじゃん。
女 吐き悪阻だもん。
男 あれから食べれないんでしょ。イチゴ。
女 ふふふ。
男 なんで笑うの。
女 血吐いたみたいだった。
男 それでなんで笑うの。怖いよ。
女 嬉しかったんだよ。
男 吐くのが?
女 悪阻は辛かったけど、あなたがここに存在していることがとても嬉しかったんだよ。それはとてもとても。吐いても吐いても。ここにあなたがいるんだって。
男 ごめん。

 女 、立つ。

男 え。

 男、見上げる。女、男を見ている。

女 謝らないで。
男 …イチゴ食べれなくなったのは俺のせいだから。
女 違うよ。
男 え?
女 謝るのは私でしょ。
男 …謝ることじゃないでしょ。
女 何が悪かったのかわからない。
男 悪くないよ。
女 悪いよ。私はあなたの命を奪ったんだ。
男 悪いとか言うなよ。
女 イチゴ食べ過ぎたから?自転車に乗ったから?引越しで重たい荷物運んだから?虫除けスプレーを使ったから?電車でマスクしなかったから?
男 もうやめてよ。
女 嘘つきで、自己中で、人として何か足りなくて、
男 もうやめろって!

 男の顔は見えない。長い間。

女 抱っこしたい。
男 え。
女 一緒に行きたい。
男 …無理でしょ。
女 無理じゃない。
男 無理だよ。
女 嫌だ。行かないで、
男 それは甘えだよ。
女 …、
男 …何でもないよ。

 女、立ったまま男を見ている。男の顔は見えないまま。

女 乾涸びたイチゴのようなこの子を潰してしまいたい。そして一緒に消えてしまいたい。

 光が徐々に女から男へ移動する。夕陽が移動するように。

女 帰ってしまえば私はまた洗濯物を干し、床を拭き、唐揚げを揚げ、この子のことを忘れてしまう。そして時折訪れる隙間、一人になった夜に、死にたい衝動にかられるのだ。絶対死なないくせに。でも今は違う。今は目の前にこの子がいて、この子と一緒に行きたい。離れたくない。今、それ以外の言葉が見つからない。
男 俺が大きくなったからって何でもわかってくれると思わないでよ。
女 ……。
男 自分で選んだんだろ。
女 …ごめん。
男 だから謝るなって!

 男、顔を上げる。二人、目を合わす。

男 わかってるよ。知ってる。全部わかってる。と思ってる。

 男、目を逸らし、手を女に伸ばす。光は顔に当たっていないので表情は見えない。女は男の手を取る。二人はお互いの手を見ている。

男 …あなたが本当に幸せになるなら、どんなことでもする。
女 それは私のセリフでしょ。
男 だけど何が幸せなのかわからない。
女 …それは、
男 こないだ目の前で交通事故を見た。
女 交通事故?
男 自転車が歩行者を避けて歩道から車道に降りたところに後ろのバイクが突っ込んできた。バイクは慌てて自転車を避けようとして横転した。
女 どうなったの?
男 自転車は無事だったけどバイクは車にはねられて死んだ。
女 ……。
男 俺は見ていただけで何もできなかった。
女 そりゃ無理だよ。
男 病気や殺人や自殺でさえも俺は無力で何もできない。
女 それは、

 男、手を離す。

男 そんな時、良かったって思うんだ。
女 え、何が、
男 あの時、俺が死んで。
女 何を言ってるの?
男 俺があのままお腹の中で生きてたらあなたの命が危なかった。
女 え?
男 俺の幸せはこれかなってことで。
女 そんなこと言わないでよ。
男 どうせ死ぬなら誰かの幸せのために俺の体を使ってくれって。今でも思うから。
女 ……。
男 幸せでもないか。
女 そんなことないよ。あなたがいたから幸せだったよ。今も幸せだよ。
男 いいよいいよ。
女 ほんとだよ。
男 自己満だから。
女 ほんとだよ。
男 もういいって。座って。
女 うん。

 間。女、座る。そして窓の外に目を向ける。

女 これからも。これからも、私は目の前の大切な人達とご飯を食べながらあなたの事を思い出すのだろう。これからも、子供達の成長を感じた時にあなたのことを考えるのだろう。これからも、嫌な自分を晒した時、あなたが見ているような気持ちになるのだろう。そして自分の老いや死に直面した時、もうすぐあなたのところにいけるのかもしれないと少しワクワクするのだろうか。

 男も窓の外を見る。

男 いつのまにか海だね。
女 …うん。

 男と女、窓の外を見ている。男は左側、女は右側。

女 あ。
男 ん?
女 あの白いのは…
男 あれは…灯台かな?
女 灯台。
男 灯台守って今もいるんかな。
女 いないよ。電気でしょ。
男 そうなの?
女 暗いし寒いし。眠いし怖いし。
男 なんだつまんない。
女 よく知らないけど。
男 あの灯台は他のと少し違うんだ。
女 え。どこが。
男 灯台って電球がこう、クルクル回って点滅したように見せてるんだけど、
女 うん。
男 あの灯台は電球は動かないままで、遮光板が電球の周りをクルクル回って点滅させてんの。
女 詳しいね。灯台マニアか。
男 あの灯台の電球は一人じゃないんだよ。

 男、立つ。

男 そろそろ行くわ。
女 ……。
男 元気でね。
女 待って、

 女が立つ。でもそこから動かない。男、女をしばらく見て

男 またね。かあちゃん。
女 、(何かを言おうとして)

 暗くなって、男は消える。電車の音がする。女、立ったまま窓の外を見る。そのまま。

女 何も変わらない。何も変わらない。また明日が来て私は目の前の事に精一杯で、生活に追われて、何も変わらない毎日を繰り返す。そして時折そこにいるかもしれないあなたに聞こえるように歌を歌う。

 鳥の鳴く声が聞こえたような気がする。正 窓と反対の方角の空を見るように。

女 鳥が飛んでいた。ウソという綺麗な鳥だ。ウソなのに。その綺麗な鳥は桜の枝に止まり、そして蕾を啄ばんだ。

 また鳴き声が聞こえる。女、鳥に話すように

女 綺麗な声だね。いつのまにか春なんだねえ。

 電灯が一瞬、点滅して、消える。真っ暗になる。女、小さな声で

女 聞こえる?おめでとう。誕生日。おめでとう。

 また鳴き声が聞こえる。口笛のようなその鳴き声はそのうち音楽を奏でる。女が小さく歌っている。
 終わり。


   引用 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より