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誰も知らなかった〜ある演奏会の話

地元の人も来たことがない、そんな場所に小さな棚田がある。

毎年一人でお祖父さんから受け継いだこの田んぼを耕作している茂さんは、作業の合間にふと空を見上げて、この景色を私一人が味わってていいんだろうか。とよく思っていたそうだ。

梅平という小さな地区の森に入っていく小さな山道の小さな入り口から先はこの地区に生まれ育ったお年寄りたちも入った事がなかった。

その道の先は谷間に続いていて、その谷間に茂さんの棚田がある。

つづら折の急な坂を降りて広がるプライベートな谷間の空間。

いろんな形の棚田の真ん中に石舞台があって、大きなネムノキが一本たっている。

茂さんはいつまでここで米を作り続けられるか、収穫間近の米を猪に喰われたこともあった。

そんな時、この棚田に続く山道の入り口に東京から移住してきた家族がいた。

ヒロクラフトの廣田さん一家だ。

棚田に最も近い家に住みはじめた廣田さんはこの棚田にすっかり惚れて、茂さんがこの棚田への気持ちを失わないように、東京から人に来てもらって、棚田の魅力を再認識してもらいたいと思っていた。

ヒロクラフトの作品と生き方を応援していた都内在住の寅さんが、ある時廣田さんに、馬頭町なんだから、馬頭琴のコンサートを棚田でやったら面白いんじゃない?

と言った一言がきっかけで、わたしが棚田に呼ばれた。

田んぼで演奏とは??

田んぼの中はぬかるんでいて演奏は無理だし、あぜ道で弾いて、お客さんもあぜ道?

水が楽器に影響して音が響かない?など心配ちらほら。

森の入り口から中に入るとき、これは山の中に入っていく道だ。この先に棚田が本当にあるの?

一体どうやって沢山の人をこの場所に誘導できるのだろうか?

先走って心配。

山の中で視界が急にひらけて、眼下に棚田がひろがっていて、その中に石舞台を見つけた時、そこしかないだろうと座って楽器を弾いた時、いろんな不安は消しとんで、ここで弾きたい。

ここでコンサートをしたい。

沢山の人に来て欲しい。

そう思った。

音は散ってしまうのではなく、細く長く山の斜面に沿って昇っていくようだった。

そこからのコンサート主催者になってしまった廣田一家の運命はなかなか過酷なものであったのだが(やはりこの地元の人も知らない場所にどうやって沢山の人を呼ぶのか問題)

誰もが何をどうしたらいいか分からなかった。

廣田さん一家も、茂さんも、梅平地区の皆さんも。

だから10年もの長い間、毎年棚田コンサートを続けて去年の秋に一回もかけること無く10回目をこの大変な世情の中で開催したのは本当に驚くべき事なのだ。

都内から、県外から、地元から沢山の人が茂さんの棚田にやってきた。

石舞台の上のネムノキは私の腰ほどの小さな木だったが、見上げて木陰が舞台を包むほど大きく育った。

天然のコンサートホールとしか言いようのない場所になった。

みんなが棚田の自然と音楽と生き物たち、風や太陽や雲との間にその瞬間瞬間、同時に起こる偶然という名の必然ともいえるショーを楽しんだ。

毎年はもちろんのこと、毎瞬変化するそのホールは唯一無二の世界でただ一つの場所になった。

人が来ないはずのその山の入り口には開場の30分前には沢山の人が並び、開場をいまかいまかと待つ。

この梅平は日本のどこにでもある里山の原風景のような場所で、地区の人たちが一年を通して自然と関わり合いながら、この里山の景観を作り出している。

そして効率は抜群に悪いであろう山の奥の谷間の棚田を一人で耕作する茂さんの作業、廣田一家の棚田コンサートに関わる姿勢、演奏会ではその様子を見ることがなくても、そんな要素が溢れたこのコンサートの舞台裏、舞台そのものがどんなであるかを、映像作品にするべく立ち上がったプロジェクト。

「里守人と馬頭琴」

思い返せば第一回目のコンサートは2011年という誰の記憶にも深い年だった。

自粛のムードがある中で、コンサート開催することに棚田コンサートに関わる誰もが不安を感じていた時期もあった。

梅平地区のある栃木県那珂川町から発信されるラジオを福島の人が聞いてコンサートに来てくれた。

コンサートの感想を読んでみなやっと、やってよかったねと喜んだ。

地区のお年寄りたちが、初めてこの場所に来たよ。と喜んでいた。

このコンサートを通じて地区の人が繋がったような、一つ一つの出来事が嬉しかった。

10回目の記念すべき年を迎えて、映像に残そうと企画が立ち上がったのは2019年の夏。

本番となる2020年がこのような年になるとは想像もしていなかったし、本当に開催できるかどうか、何度も協議を重ね、諦めるしかないと開催を中止する方に傾いた事もあった。

監督を引き受けてくれた纐纈あやさん、カメラマンの石井和彦さん夫妻も、思うように梅平の地に足を運ぶ事ができず、本番の日も天候とにらめっこなこのコンサートはギリギリまでどうなるか不確定要素に溢れていた。

それでも最後にはやはり、廣田さん一家と廣田さんが名付けた梅平の棚田コンサート主要メンバー里守人の方々のやりましょうという決意により、10回目のコンサートを迎える事ができ、撮影もされた。


作品はいまでも撮影続行中であり、この作品がどのように出来上がっていくか、皆さんの応援がまだまだ必要です。

地区の人さえ訪れることのなかったこの棚田。

茂さんが米作りという一年を通しての作業の締めくくり、収穫して終わりではなく、その後にこのコンサートがあり、ようやく米作りの一年が終わったという気持ちになると話していた。

そして、コンサートの時には一番後ろの山の斜面の上に腕を組んで立って、お客さんたちを眺めている。

この場所に沢山の人たちがあちこちから集まってきてくれているのが、今でも不思議でしょうがないんだ。と。

茂さんの田んぼからは音楽が流れてくる。

生の音楽が。

演奏家たちが一年心待ちにしていた至福の時間。

各地からやってきたお客さんは皆誰もが棚田の自然の中でうっとりと自然の音に、音楽に耳を傾けながら、実際には日向ぼっこを、深呼吸を楽しんでいる。

そんな世界をぜひ映像で体験してください。

応援お待ちしています。

「里守人と馬頭琴」映像製作プロジェクトホームページより。

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