能動的な「やらない」選択
仲良しのAくんはものすごく大きい身体をもっている。“ガッチリしている”なら聞こえはいいが、100キロを超えると顔は丸々してくるし、お腹はぽってりしているのがわかる。
そして、趣味なの? と言いたくなるくらい、彼はよくダイエットをする。会社の人と数人で誰が一番痩せるかをかけたり、油ものだけNGダイエットをしたり、カロリーを細かく計算したり。
「今回は運動で痩せる!」と宣言していたのはたぶん2~3か月前。日々の増減はあるけれど、気が付くと4か月で14キロを落としていた。
言いたいことは彼のダイエット力ではなくて、「楽しそうにダイエットする」ところ。常に不安を訴える私とは真逆で、太っても、痩せても、全ては予定通り。「自分がコントロールしている」という意識を持っているのだ。
今日はお祝い事でたくさん食べたい、という時はダイエットの「一時解放」を発表する。仕事で忙しい時期が続いた後、「やっと痩せられるよ~」と言ってジムを再開する。太るときも、痩せる時も、まるで自分が判断しているかのようなふるまいをするのだ。
多分彼は、引き際がわかっている。ポジティブな意味で、諦めるタイミングがわかっているのだろう。
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毎日続けたいことでも、どうしても出来ない日だってできてくる。自分では続けたいと思っていることを、こちらの意志とは裏腹に中断しなくてはいけない時もある。その時に潔く、「自発的にやらなかった」と言ってしまうこと、「やれなかった」と言わないことは、なんだかすごくポジティブでいいなぁと思った。何にも言い訳しない、自分で選んだ道だ。
やれるかわからないことをギリギリまで頑張り、結局「やれなかった」と悩むよりは、きっぱり「やらない」と見切りをつけて、できることに注力していくことも時には必要なんだろうなぁ。
もっと自分で選びにいっていい。そんな気がした。