余った便箋と、私へのメッセージ
余ったレターセットを眺めながら、しばらく時が止まっていた。ずいぶん昔に買ったレターセットは封筒が、数年前のものは便箋が、不格好に余ってしまっている。
シールもそうだ。中途半端に残ったシールがバラバラと残っていて、一つのジップロックにまとめている。「壊れなければ永遠に使い続けるタイプ」と前のnoteで書いたことと似ていて、使えるものを捨てることに抵抗がある。特に小さいころもったいなくて使えなかったものは、今使い道が無くてもなんだか捨てられない。
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小さいころから誰かに手紙を書くのが好きで、マンガ雑誌の最後に掲載されている「文通募集」の欄を見て手紙を送ってみたり、インターネットが普及してチャットが流行ったころは、チャット仲間とのメール交換から文通に移り、毎月1通づつやりとりをしていた。通常レターセットは封筒1つあたり2枚の便箋が用意されているのだけれど、毎回大体3枚以上書いていたため便箋がよく余ってしまっていたのだ。
けれどもう、長文の手紙を書くことは久しくしていない。頻繁にやりとりしていた友達は疎遠になり、住所を知っている人も少なくなった。まして、突然手紙が来たところで相手はきっと困ってしまうだろう。
最近はちょっとしたプレゼントを贈る時に簡単に添えたりとか、前の会社を辞める時に部署の人へ手紙を書いたくらい。そんな時は長文を書くわけでもなく、1枚の便箋に広く余白をとって書き、封筒を1枚使う。そんなわけでこんどは便箋が余ってしまった。
「どうしようかな。いらないけど、捨てるのはちょっと可哀そうだし…」と考える時間が長くなる。役割が全うされないまま、完全真っ白の状態で捨てられてしまう便箋のことを思うと、せめて何か書いて捨てたいな、と思うのだ。
誰に書いたらいいものか迷っていた時、ふと思った。そうだ、未来の自分に書いてみよう。
補助線もない、真っ白な便箋を目の前に広げる。レターセットのデザインまで自分で作りたいと思っていた時期に買った、文字通り真っ白のレターセットだ。
日付は、いつにしよう。そんなに未来でも忘れてしまうから、1年後がいいだろう。1年後の私は、何をしているのか。相変わらず取材して、書いて、楽しんでるのかなぁ。
書いた手紙は封筒に入れて、もらった手紙が入った箱に入れておこう。すぐに読み返せないように、なるべく見えないところに置いておいた。