理想の最期
いつから言い始めたのか覚えていないくらい前から、私は死ぬ前に言いたいヒトコトが決まっている。
「我が人生悔いなし…!」
と言い放って、そのまま息を引き取りたい。たとえそれまでの人生が辛く苦しいことばかりだったとしても、最期くらいは「悔いなし」と言い切って死にたいのだ。
できれば大切な人たちにその言葉を聞いてほしい。場所は病院のベッド(死後の手続きがスムーズにすむように)。言い放った後、ピッピッピッと動いていた心拍メーターがピ―――――と鳴り響き、消えゆく意識のなか大切な人たちからの最後のメッセージを聞いて、この世を去っていきたい。
これまで生きてきた中で、特に印象に残っている最期がふたつある。私が高校1年生の頃に他界した母方の祖父と、2017年2月に別れを告げた、こちらも母方の祖母の最期だ。
ふたりと一緒にいた時間を考えると、幼い頃の記憶がよみがえる。社交的で誰とでも仲良くなる祖父を見つけに、近くのゲートボール場まで探しに行ったこと。物を大切にする祖母から古くなったチラシの裏紙をもらい、絵を描いたり、日記を書いて祖母にみてもらったりしたこと。母が仕事を終えて迎えに来てくれるまで、一緒にオセロをした。手をつないで、近くの山へ散歩をしに行った。一緒に旅行をしたこともあった。
高校入試が近づいた頃、「おじいちゃんとおばあちゃんがみほの様子をいつも聞いてくるんだよ」と母が教えてくれたことがあった。体調を崩していた祖父とはしばらく会っていない。
それから長い受験勉強を終え、合格通知をもらったのは、寒さの残る2月の終わり。一番最初に報告しようと電車を乗り継ぎ、制服のまま祖父母の家へ見せに行った時の驚いたような、でも嬉しそうに「頑張ったね」と言ってくれた様子は今でも思い出せる。
高校へ入学して2か月経った頃には、祖父は鼻に管を入れ、自宅のベッドから一人で起きれなくなっていた。食事も満足にとれず、どんどんやせてしまった祖父。話すのも大変そうにしていたが、祖父の家を訪れ、会いに来たよ、とそばに寄った私に「学校は楽しい?」と話しかけてくれた。
「楽しいよ」と答えると笑顔になって、今にも消えてしまいそうな声を一生懸命出しながら、「おじいちゃんも、おばあちゃんと一緒に暮らせて、楽しいよ」と答えてくれた。
1週間後、祖父は病院に運ばれ、ベッドで静かに息を引き取った。
明るくて、友達の多かった祖父とは違い、祖母は物静かで、あまり自分の感情を出さない人だった。祖父がいなくなってしまった後、寂しくない?と聞くと「今はあまり実感がない」と答え、しばらくしてもう一度聞くと「もう慣れたよ」と答える人だ。
海外旅行から帰ってお土産を渡しに行くと、祖母は必ず「おばあちゃんの分は無くていいから、会社の人には必ずお土産を渡してね。お世話になっている周りの人を、大事にしてね。」と言っていたのを覚えている。祖母が感情を出さないのはきっと、周りを気遣い、自分のことを後回しにしていたからなのだろう。
入院をしたときも、いよいよ動けなくなるという直前まで「風邪をひくといけないから、お見舞いは来なくていいよ」と私の体調を気にしていた。早く元気になってね、と言っても「もう十分生きたから、これ以上長生きしなくても満足よ」と、口癖のように返していた祖母。
1週間も命がもつかわからないと言われていたのに、1か月以上も長生きしてくれたのは、祖母に対して「まだ一緒にいたい」と思う、私たちへの最後の気遣いだったのかもしれない。
思うように動けなくなっても、楽しい、十分だ、と言い残し、旅立った祖父母。病院から戻り、自宅の布団に寝かされたふたりは、とても穏やかで、今までの人生に満足しているような表情をしていた。「人生を全うした」という言葉がまさにぴったりのふたりだったと思う。
今のところの経過で言うと、総じて私は後悔のない人生を送れているような気がする。もちろん、毎日毎日、不安や「こうすればよかった」と思うことはたくさんある。オススメのお店を聞かれたら、ここを答えればよかったとか、苦情のメールに対して、ひと息ついてから返信すればよかったとか、この計算ミス、あと1回見直したら絶対気づけたのに、とか、大きいものから小さいものまである。ありすぎる。
でも死ぬときに、「あの時、本当はこうしたかったのに…」と思いだすような、さらには墓まで持ち込んでしまうような大きな後悔は今のところ、無い。
あとどのくらい生きるかわからないし、この先何が起こるかなんていうのも予想できない。けれど、大きな問題にあたったときは、「この選択をして、死ぬ前に『悔いなし』が言い放てるか」を問いていくつもりだ。
理想の最期を見せてくれたふたりに、胸をはってあの世で報告ができるように。
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7人で「書く日、書くとき、書く場所で」という共同マガジンをやっています。今回は「理想の最期」を共通テーマに書きました。
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