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この「おもてなし」は自己満足になっていないか
「"おもてなし"って、定義がとても難しい言葉ですよね」と前置きを置いて、外国籍の同僚が話し始めた。
取材で観光列車に乗った時、とある「おもてなし」に違和感を覚えたそうだ。
停車駅に到着した観光列車は、出発まで3分ほどの時間があった。車内で出発を待っていると、外で手をふる駅員が見えたという。全員か、もしくは担当の数人か。複数人の駅員が一斉に、列車に向かってニコニコ手を振っていたそうだ。
出発する列車を見送ることはよくある話。みんなに見送られるなら、たとえ知らない人たちでも嫌な気分はしないだろう。けれど、続けて話した同僚の内容はこうだった。
「出発までの3分間、駅員さんはずーっと手を振り続けていたんです。列車が走り出したタイミングでならまだわかりますが、忙しいのに手を振り続けていて、なんだか申し訳なくなってしまって。けれどほかの人に聞くと、これが"おもてなし"なんだと言っていました」
確かに、3分間ずっと手を振っているのを無視するのも居心地が悪い。恋人と駅のホームで別れ、電車に乗ったはいいがなかなか動かず、目をそらすのも微妙だし、かといって見続けるのもいかがなものか……と悩んだことを思い出した(状況はちょっと違うけれど)。電車の中と外でコミュニケーションをとるには、3分間は果てしなく長いと思うのだ。
「おもてなし」を調べると、"お客さんに対して心をこめて接すること"と出てくる。そう解釈すれば、手を振り続ける人たちは確かに「おもてなし」をしていたのだろう。
けれどそれによって、喜ばせたいはずの人が申し訳なく感じてしまったり、過剰な待遇だと思ってしまったりするのならば、それはもう「おもてなし」に入らないのではないかなぁと思う。
心をこめて接することはもちろん大事だ。ただ相手が嬉しいと思うことに合わせて表現を変えた方が、お互い気持ちよく「おもてなし」を提供したり、受けたりできる。ただやりたいだけじゃ、単なる自己満足で終わってしまうのだろう。
私がしたいと思う「おもてなし」は自己満足になっていないか。相手に気を使わせてしまっていないか。相手が鈍い反応をしたら、立ち止まって考えたい。
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