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ソロで歌った時の緊張感の話

数年前、1度だけ100人近い人の前でソロで歌ったことがある。

今でこそギリギリ音程がとれるようになったものの、小さい頃は相当な音痴だったらしく、それでも「歌うことを嫌がらないでほしい」という両親の教育のもと、音痴であることは隠されて育った。そんな両親の希望通り私は今歌うことが好きだし、笑われない程度には音もとれる。けれど人前で、ソロで歌うのはまた別の話だ。

舞台になったのは友人の結婚式。毎回10人くらいで余興をしていて、うち女性は私を含め2人。一人はもう絶対歌うなんて考えられない! と断固拒否だったこともあり、代わりに私が歌うことになった。ソロと言ってもBメロ部分のみで、あとは他の(歌がうまい)友人ソロや、マイクをもった数人で歌う。本当に、10秒程度のソロだ。

“過去、音痴”を知っていた私はソロに向けて練習も繰り返した。一人カラオケしてそのフレーズだけ何度も繰り返したし、みんなで集まる練習にも皆勤賞だった。練習通りやればなんとか頑張れる。歌詞も覚えたし、音もとれた。あとは笑顔で歌うだけ。

お色直しを終えた新郎新婦が着席する。私たちは舞台になる場所の袖でスタンバイする。歌のうまい友人が、反対側から歌いはじめ、舞台へ戻ってきたら次は私の番。動じない歌声が聞こえ、決められた立ち位置へ移動し、伴奏が流れ始めた。そして会場にいる人を見た瞬間、一気に頭が真っ白になり、歌詞が何も思い出せなくなった。

ボヘミアン・ラプソディのライブエイドのシーンを見ながら、その時の気持ちがフラッシュバックした。たった100人で頭の中が真っ白になるのだから、何千万といる観客を前にパフォーマンスなんて、心臓が張り裂けて死ぬんじゃないか。観客の映像が映るたびに、鼓動がやけに早くなる。

舞台に立ち、パフォーマンスに至るだけでも色々なストーリーがあり、「ここだ」と決める瞬間に出会う。観客の前に立ったら始めるしかない。やりきるしかない。それだけでも十分価値があるのに、パフォーマンスで人を感動させたり、それが映画化されたりしてさらに人々を引き付けるなんて、確かに凡人じゃ成し遂げられないよなぁ。


そこ!? みたいなところを語ってしまったけれど、見終わった後にクイーンの曲を即ダウンロードしてしまうくらいに、ボヘミアン・ラプソディよかったです。

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