ごく一部の可能性でも望むなら

病気を抱えた人が、「これにかかったらみんな、もう回復は不可能だ」と言い切った。それは"絶対に”不可能なのか、頭の中にいつまでもその言葉が残る。

確かにその人は治らなかった。何十年も、30以上の薬を飲み続け、いつかは副作用に蝕まれてしまうんじゃないかと不安になる。けれど、彼のような人を他に知らない。大人になってから出会う人は、同じ病気でも、うまく向きあい連れ添って、活躍している人の方が多かった。

「あなたはごく一部の人を知ってるだけなのよ」と、ぽつりぽつりこぼす私に別の人が言った。私の知っている人たちは、奇跡的に恵まれたごく一部。その他大勢は一生回復できずに、ただ時がすぎていくだけなのだという。

それでも、と私は思う。

ごく一部でも、病気と付き合い、活躍している人がいるならば、可能か・不可能かに関わらず、「自分はどちらになりたいか」を考えればいいと思う。確率は低くても可能性があるのだから、そっちに賭けてもいいんじゃないか。

自分がその他大勢なのか、ごく一部の人間なのかは、何もしない状態ではわからない。なりたい方に向かって、なる準備をしておくことが、納得いく人生を送るのに必要なことのように思う。

「回復は不可能だ」と言う人に対し、否定をするのも気後れした。ここまで来てしまった以上、「もっと頑張れたはず」なんて指摘するのは酷だなぁと思った。

それでもいつか、その人が気づいてくれればいいな、と思う。できる・できないじゃなくて、どっちの自分でありたいのか、ということを。

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もりやみほ
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