同居人との関係性(12/16)
シェアハウスのリビングにいたら、寝起きの同居人が降りてきた。
私のテーブルには買ってきたばかりのレモネード、のどぬ~るスプレー、のど飴と葛根湯、そしてパソコンが置いてある。湯たんぽを抱えてぽーっとしていたら「風邪ですか?」と同居人の声が聞こえた。
頷いてつらい、と返すと、「ここじゃなくてベッドでゆっくりしてたらいいのに」と返事が来た。
ベッドに行きたくない理由はふたつある。ひとつは、今日中納期の原稿がふたつあること、もうひとつは、風邪をひくと孤独がきらいになることだ。前者は2時間ぐらい頑張って諦めた。頭痛があるときにブルーライトは結構きつい。後者は結局諦めきれず、同居人が映画を見ている隣でいつの間にか眠っていた。
風邪をひくと途端に心細くなる。日中に眠り、ふと起きた時に外が真っ暗になっていると世界から一人取り残されてしまったような気分になってしまう。電気をつけても一人だなんて、なんて悲しいことだろう。実家の時は家族が、一人暮らしをしていた時はパートナーが、そして今は同居人が家にいて、それぞれ各自の生活をしているおかげで、風邪をひいてもギリギリ世界とつながっているような、そんな安心感が得られている。
「ご飯を買いに行くのがしんどい」とダダをこねていたら、「なんで食べ物用意しておかないん?」と呆れ半分におもちを恵んでもらった。引き始めに効く葛根湯より、頭痛薬を飲んだほうがいいとアドバイスをもらい、常備しているバファリンを飲んだ。
シェアハウス暮らしと言うと、「絶対できない」と言うひともよく聞く。「帰ってきて他人がいると、気を使っちゃって休めない」が主な理由だ。確かに同居人はみんな他人。けれど、気が休まらないほど気を遣わなければいけない“他人”でもないんだと、一緒に住んだからこそ感じる。とはいえ友達ともちょっと違う、“他人”でも“友達”でもない関係って、これもひとつの“家族“なのかもしれない。
バファリンのおかげで頭痛が引いてきたので、ようやく今、このnoteを書いている。