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強要される常識の対処法について考えた

相手は変わらないのなら、笑って終わりにしてしまおう。

「常識」が自分の中で固まってしまっている人と話すときは、どうも会話がかみ合わない。「ふつうはこうでしょ」「みんなこう言ってるよ」と、私の考えとは違った、そして私の周りにはあまり見かけない"ふつう"や"みんな"を振りかざして、その人の考えを押し付けられてしまう。「私はこう思うよ」が受け入れてもらえないから、会話がどうどうめぐりしてしまう。

何度話し合っても考えは変わらず、押し付けられる常識に辟易した。どうしたら世の中に色々な考えがあることをわかってもらえるのだろう。「こうしなさい」が相手には重くのしかかってしまうことを、何をきっかけにわかってもらえるのだろうか。


ぬるいお風呂に浸かってもんもんと考えた。お風呂ぬるいなぁ。けど、これで長時間浸かってたほうが身体にいいんだよな。

そんなことを考えながらゆっくりお風呂に浸かって、のんびり出てきたのだけれど、「どうしてお湯を沸かさなかったの!なんですぐに出てきてしまうの!」とキンキンに声をあげて怒られてしまった。"すぐ"の基準はやっぱり自分の中にあって、のんびり出てきたはずの私の基準は、当たり前のように塗り替えられている。

いつも通りお風呂に入って、温まって出てきただけでこんなに怒られるとか、最近じゃなかなか経験できないよなぁと思ったらなんだか笑えてきた。それにエネルギーをぶつけられるのもすごいし、怒るべきことだと思っていることや、怒っても変じゃないと思っていることがすごく珍しくて、なんだか子どもみたいだなぁと面白くなってしまったのだ。

本当に、世の中には色々な考えがある。人の数だけ常識もあれば、どうしても見逃せないことだって人によって違う。だからこそ、自分と違う常識を突きつけられた時、「そういう人もいるよね」と流すことや、「全然違うね」と笑って終わりにする力が、生きてく上では必要になるのだろう。


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もりやみほ
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