誰のせいでもない、悪い"気"のせい
生まれて初めてライターを買った。88円、ライターとはこんなに安いものなのか。
普段タバコでも吸わない限り、ライターを使う機会はほとんどない。中学の頃は「ビューラーをライターで熱してまつげをカールしやすくする」なんて女の子もいたけれど、多分今はそういう人も少ないだろう。
私がライターを買った理由は、部屋であるものに火をつけたかったから。それは同居人にもらった「ホワイトセージ」だ。
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ポロポロ泣いた日の夜、「みほちゃんにはお清めの塩とホワイトセージをあげよう」と、同居人がティッシュにたくさん包んでくれた。ホワイトセージとは、白色の乾燥した植物のことらしい。
使い方がわからずきょとんとしていたら、彼女はガスコンロでホワイトセージに火をつけた。出てきた煙は、お線香の香りに近く、心が落ち着く不思議な力があるような気がした。
これは場所や心を清めるための、浄化作用のある植物だという。落ち込んでいるときや、気分が乗らないとき、それは悪い「気」が自分の周りについているということ。それを払ってくれるのがホワイトセージの煙のようだ。
お清めの塩もしかり、彼女の"厄払い"には余念がない。悩んでいることを話していても、「今はきっと、悪い気がついているだけだよ」と言って浄化アイテムをくれる時もあれば、「疲れているけれど、それでも頑張る必要がある時は……」と、必要なアロマをブレンドしてくれる時もある。
悩みに対して"誰も悪くない"、"見えないもののせい"と言ってくれるのは、それだけで結構救われるものだ。
困っている物事に対して具体的に考えること、改善策を考えることは必要だ。もう同じことで悩まないために、次起こった場合の対処法はもっておきたい。
けれど論理的に考えることは、心を奮い立たせて、感情を落ち着かせてやる必要がある。感情がついてこない日は、いっそのこと「気」のせいにして、五感を楽しませたり、おまじないを信じてみたりするのもいいのかもしれない。
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ライターにはりつけてある使い方シールを眺めた。そういえば祖父母の家のお線香にも、これに似たライターを使っている。上から押すだけではつかない、ちょっとコツのいるライター。
ホワイトセージの煙は、細く長く私を包み込んだ。少し乾いた、気持ちがゆるゆるとほどけていくような香りが入ってくる。
1日が終わる。なんだかんだ、よい週末だったなぁと思う。
去年の毎日note。毎度のことだけど、今のほうがもっと上手に書けるよなぁなんて思いながら読んだ。