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個性はどこから出てくるものか

記事で個性はどう出すか。文体なのか、書き方なのか、「こんにちは、ライターの〇〇です」から始まる文章なのか。

文体や書き方は、掲載するメディアのトンマナで決まっていることが多い。読者にとって読みやすい文体、書く内容も読者の興味を引き付けるもの。極論いうと記事は読者に読んでもらうためのものであって、個性を出すためのものではない。それでも無機質で感情の無い記事よりは、心のこもったその人らしい記事のほうが読みたいよね、といった読者が多い場合、記事で個性を出せればいいと思う。

記事の「個性」は、取り上げる対象だったり、どんな部分を良いと思って取り上げ、どういう見せ方で、どんな風に書くかだったり。いわゆる「切り口」に個性が宿ると思っている。この分野だとこのライターさん、すごく深いところまで書いてくれるよね、とか、いつも記事の中に誰かのストーリーが入っているよね、とか。続けて記事を書いていく中で見えてきたその人のものの見方や感じ方が、そのうち周りに「個性」として見られていくのだろう。


以前アパートメントで連載をしていたとき、「この表現はもりやさん独特だよね」と言われたことがあった。

ローラー滑り台をガタガタと音を立てて滑るように、私の大学受験は勢いよく滑っていった。

受験の時の不安定な気持ちや、さまざまな困難を抱えながら受験結果を受け取っていた私は、決して滑り台のように滑っていったわけではない。地味に続く不快感とともに、それでも下へ下へと滑っていった。それを表現するにはローラー滑り台がぴったりだと思ったのだけど、それを"もりやさん独特だ"と言われたことには少し驚いた。


「個性」は、出してと言われて出すようなものでなく、自然とにじみ出るものなのだと思う。そして「個性」は、自分で見つけるものではなく、他人が伝えてくれるものでもある。"周りの人にはあまりない、独特の存在"は、周りの人が認めない限り存在しないのだから。


私の記事やnoteは、どんな「個性」に見えているのか。自分で見えないのが、少しもどがしい。


去年の毎日note


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もりやみほ
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