[回想録1] 今は経営者、昔は「イラストレーター」
こんにちは。&D、Cotton’sの尾崎美穂です。今は2つの会社の経営をしていますが、複数の職種を同時進行したへんてこな経歴があるものですから、「具体的にどんなこと、してたの?」とよく聞かれますもので、この場を借りて、いくつかご覧いただこうと思います。
今回は昔の「イラストレーター」としての活動をご紹介します。
幼稚園の頃から絵を描くことが大好き。
小学生の時には美大を目指す。
私の小さな頃なんて、デジタルっぽいゲーム機も何もないもんですから、もっぱら手で作る、描く、体を動かす、というのが基本の遊びでした。その中でも、「描く」ことへの執着は人一倍。
●幼稚園の頃から絵を描くことが好き
●小学生の頃には美大に入ることを決意
●中学生の時には美術の高校にいきたいと決意
●が、親に反対されて挫折
●が、京都精華大学日本画専攻に入学
●社会人になって、イラストレーターの夢を叶える
幼稚園の頃、絵本の模写から始まり、小学生以降も、何かと観察して忠実に再現する、ということが好きだったようです。
小学生の時にはアルフォンス・ミュシャ、中学生の時にはグスタフ・クリムト、高校生の時にはノーマン・ロックウェル、などが好きでした。
こちらは、高校の授業で描いた
ノーマン・ロックウェルの模写
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模写と言いながら、水彩で描いてます。たっぷりある時間を使って、ただ描くことだけに没頭する。そんな学生時代ならではの貴重な時間。今はもう考えにくい…。
デザイナーをしながら、
イラストレーターデビュー。
大人になってからは、めっきり海外絵本の世界にはまりました。オーストラリアのリスベート・ツヴェルガーや、チェコのイジー・トゥルンカ。神戸のマニアック本屋さんなどでせっせと古本を集めていました。
フリーランスでのデザインの仕事の中で、イラストを求められることがあり、チャレンジしたのをきっかけに、イラストレーターに。
イラストのお仕事はこんなです
(過去すぎて色あせ感…)
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さらに、お仕事では描くことない
オリジナルイラストにチャレンジ
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このイラストには、ストーリーがあるのですけど、昔すぎてお恥ずかしいので、ここでは伏せておきます。
イラストを描いたら、それだけで終わりません。ポストカードや雑貨をデザインしてイベントに出店します。15年以上前で、今見ると、青い(未熟だ)し、デザイナー目線で見ると仕事の中では使いにくい…。
だけど、これを世の中に出していると、お声掛けいただき、ブックカバーに包まれた雑貨絵本を出していただきました。あぁ、ありがたい。
その時の絵本は
こんな感じです
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出版記念も含めて、空間を丸ごと
デザインしたイベント開催
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イラストという素材を
お料理するのが好き。
この頃のことを振り返って、今思うのは、大した技術は養えなかったながらも、私は技術を磨くよりも、イラストという素材を使って、展開していくことが好きだったようです。ストーリーを作ること、デザインすること、空間を作ること、イベントにすること、などなど。
そういった性質が、今の仕事に生きているのだと、強く感じます。あ、でも、「イラストレーターという職業が今に通じる」ということではなくて、あれこれへんてこな経歴や経験、体験、全てが今の自分につながっている、という風に実感するわけです。成功体験はもちろん、失敗体験も含めて。
当時、やりたいことはたくさんあるけど、お金も認知度もない。だけど、たくさんの人を巻き込んで…というのは、とんだ勘違いで、心が広く人情味溢れる人たちが、未熟な私に巻き込まれてくれて、惜しみない協力をしてくれたおかげで、たくさんの想いを形にすることができました。様々な体験ができたのは、そういった人たちのお気持ちがあってこそです。
この時の経験から、今度は私が、たくさんの人たちの想いを形にするお手伝いがしたい、と強く思い、日々精進しています。
フリーランスの後、プランニングデザイン、イラストプロデュースの会社、Cotton’sに入って、多くのイラストプロデュースも手掛けてきました。イラストを描くというのは、私にとっては、なんと言いますか、魂を削るような感覚でした。自分が過去にやってきたからこそ、イラストレーターさんのこだわりやご苦労などがわかる気がします。
私は途中で頓挫しましたが、お仕事として成り立たせている多くのイラストレーターさんは、私が尊敬に値する職業のひとつです。
イラストレーター・デザイナーを経て、就職し、会社の経営者になった私。経営をして会社を立て直した経験から、クリエイティブの力が経営にどれだけ生かせるか、を述べた本を、この秋「経営とデザインのかけ算」を上梓します。興味を持ってくださった皆さま、よろしければこちらも合わせてご覧ください。
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