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2月寒さがもたらす効能
こんにちは! 星読み人であり、Motherであり、勝手に哲学する奥乃美帆です。
2月はいつも節分を過ぎたあたりから記憶がなくなります。
寒過ぎて脳みそが凍結しているからかもしれません。
毎年この季節は、人間も冬眠できたらいいのに…と独り言を呟きます。
腎の機能が弱めの私にとって冬はなかなか辛いものがあるのです。
それなのに、園バスに乗りたがらない長男のせいで、
片道12分の葉山にある幼稚園まで男子2人を乗っけて自転車を漕ぎます。
特に寒いのはトンネルの中です。すごい勢いで風が吹いていることが多いし、
日が当たらないせいで魔法瓶のように夜の冷たさを保持しているのですから。
ぶつぶつと文句を言いながら自転車を漕いでいる私ですが、
文句を言う一方で頭の片隅でチラッと
生きることというのはこういうことだよな…なんて思ったりもします。
だって多分木とか動物とかも同じように寒いし。
人間は知恵が発達して寒さを凌ぐ方法を編み出したけど、
本来生きるとは寒さであったり飢えであったり、
突然のトラブルであったり、そういったものに溢れているものなのだと思います。
お金というツールを生み出し、保険やローンや様々な方法で、
「安心な人生」を作り出そうとしてきた人類ですが、
それでも未曾有の大災害であったり、パンデミックが起こったりして、
なかなか自分たちの思うようにはいきません。
最新のテクノロジーを持ってしても
人類は陥没した穴からトラックを救出することもできませんし、
雨が降ったら傘を手で持って通勤しなければいけません。
自然と暮らしていくことは一筋縄ではいかないもので
そこに畏怖と怖れがあることが当たり前なのです。
思い返せば、私たちはある日この世に生まれ落ち、
なぜ生まれたか、なぜ意識を持ったのか、なぜこの家だったのか、
なぜこの場所で、この性別だったのか、
全くの説明もなしに人生ゲームがスタートしたのです。
心の拠り所である”神様”という言葉でさえ
人間が作ったある種架空の存在にしか過ぎません。
理不尽とも言える条件で突然始まる人生ゲームですが、
その”生き抜くこと”のなんと大変なことか…。
ただ生きるだけでも仏陀の言うところの『生老病死の苦しみ』が
私たちを待っているのですから。
でも…
でも!
この世には美しい瞬間がある。
そんなことを園からの帰り道、息子たちがいなくなった空っぽの自転車に乗りながら私は考えるのです。
冬の澄み切った空気の中で、山あいに太陽の光が当たると
山の隅々まで、枝の一本一本、つるの流れ落ちる様、グレーがかった様々な緑色の葉たちがくっきりと青い空を背景に浮かび上がります。
全てが細かく美しい自然を眺めていると、急にradioheadの曲
”everything in its right place"が頭にこだまし始めました。
これを聞いていたのは大学の時、かれこれ20年ほど前のことです。
あの時の私と今の私が地続きだなんてね。
緻密さで繊細な美しさが溢れ出す冬の山を横目に感慨に浸る私は
今生きている自分を尊く思う。
「そうか、生きているんだなぁ」そんな言葉を言ってしまう冬。
冬眠しそうになるほど寒いけど、
この寒さの中で私たちは生きていることを思いだす。
まだ来ぬ春を思い出しては、今のこの辛さを噛み締める。
耐え忍ぶことだって、待つことだって必要なのが人生さ。
でも夜があるから、冬があるから、
私たちは生きていることに感謝するのよね。